好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。
今回は貝塚の寺内町エリアの古い建築をじっくり回ります。前回は寺社をメインにやったので今回は町家メインです。
と言いつつ、どっちみち町家を巡る入口にある願泉寺は行きます。表門は1679年の建築で重要文化財。過去にも見ているのですが、もろに横を通ったので結局訪問。このお寺は本願寺の教団の拠点で、16世紀から寺内町があったそうです(その時代にはこの寺の名前はなかったそうですが)。
本堂は1663年の建築で重要文化財。
経蔵は大阪府指定有形文化財。
鐘楼は1702年の建築で重要文化財。ただし、ほかの寺から持ってきたもので、元からこのお寺にあったものではないです。
太鼓堂は1719年の建築で重要文化財。
この目隠塀も重文の一部。
書院は府指定文化財なのですが、これがそれにあたるか怪しいところ。かなり新しい部材に見えるし、この奥の部分ということでしょうか。
築地塀も重文の一部に加えられています。
願泉寺前の通り。並河家住宅主屋は1832年の建築で登録有形文化財。住職の重臣だった一族の家だそうです。
なかなか雰囲気あります。
並河家の土蔵は江戸時代中期から後期の建築で登録有形文化財。
山田家住宅主屋は江戸時代後期の建築で登録有形文化財。
竹本家住宅西主屋(左側)は1932年の建築、東主屋(右側)は江戸時代後期の建築。どちらも登録有形文化財。
利齋(りさい)家住宅主屋はもしかすると17世紀までさかのぼるかもしれない相当古い建物で登録有形文化財。
左側の土蔵は江戸時代中期から後期の建築で登録有形文化財。
雰囲気ある街並み。大半が一般住居なので重伝建には指定されづらいですが、いずれ指定されそうではある。
岡本家住宅主屋は18世紀中期ごろまでさかのぼる建物で登録有形文化財。醤油醸造業を営んだ有力町人の家です。
主屋に並ぶ新蔵は1857年の建築。その左側の蔵は中蔵で享保年間頃の建築かもと言われています。その左の北蔵も江戸時代中期から後期の建築。すべて登録有形文化財。
目立つ土蔵。宇野家住宅の土蔵です。江戸時代後期の建築で登録有形文化財。
広い道路に面した宇野家住宅は鋳物業を営んだ家です。主屋は江戸時代後期の建築。左の高塀と西土蔵は明治の建築。すべて登録有形文化財。
尾食(おめし)家住宅主屋は1839年の建築、後ろの離れ部分もだいたいそれぐらいの建築で登録有形文化財。
紀州街道に沿ってちょっと南下して一本西の通りに入りました。竹本家住宅主屋は江戸時代後期の建築で登録有形文化財。
吉村家住宅主屋は18世紀中期までさかのぼる建築で登録有形文化財。蔵二つも登録有形文化財です
廻船問屋だった廣海(ひろうみ)家住宅主屋は1861年の建築で登録有形文化財。とんでもなく、横に長い。その他、多くの建物が登録有形文化財です。
このあたりの蔵も登録有形文化財のはず。
名加(なか)家住宅も登録有形文化財。右が主屋で江戸時代中期から後期頃の建築。左が隠居屋で1872年頃の建築。
南川家住宅主屋は1927年の建築で登録有形文化財。現在は店舗になっているようです。
後ろの離れも明治の建築。登録有形文化財。
寺田家住宅はこれまでの古民家とおもむき違って、大豪邸。ここも大半の建物が文化財指定されています。主屋と石

垣塀は昭和前期の建築で登録有形文化財。ほかの建築は多分見えません。
住宅の本門も登録有形文化財。こちらも多分昭和の戦前期ぐらいの建築です。
がちがちの浄土真宗の寺内町の貝塚にある妙泉寺はレアな日蓮宗寺院。本堂は1806年の建築。まあ、このお寺があるエリアは願泉寺からはちょっと南にある地区ですが。
こんな感じの貝塚の寺内町巡りでした。次回は岸和田の主に城以外の部分を巡ります。
行き方
南海電鉄貝塚駅から徒歩。