好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。
今回は富山県小矢部市の石動(いするぎ)周辺の史跡を巡ります。
※2012年の写真です。
石動駅からスタート。
まず駅前を巡ります。観音寺。
こちらが本堂。
続いて聖泉寺。
君、はしゃいでるけど、頭の火のせいで焼けそうだぞ。
今はきれいな新駅舎になってるはずなので貴重な旧駅舎。
倶利伽羅峠のほうへ来ました! 日本三大不動と言われている不動寺があります。
為盛塚と言われている鎌倉時代の五輪塔。市の文化財。
伝承ではここで首をはねられて平為盛が死んだことになってるんですが、実はこの人、平家滅亡後も生きていて、少なくとも峠の戦いの35年後にも生きてます。誰か別の人と勘違いしたんでしょうか。
倶利伽羅峠といえば、例の伝説のコレです。
猿が堂、戦国時代に退治された猿を祀ったものだそうです。平維盛がここに陣を敷いたとか。重層的に伝説があって、ややこしい。
倶利伽羅峠石殿。1677年のもの。なお、ここはぎりぎりで津幡町という石川県側の文化財に指定されてますが、まあ、峠なのでこっちで紹介します。
不動寺へ。
手向(たむけ)神社石堂神殿は1614年の建築で、前田利常が利長の病気平癒のために作ったものです。ここも津幡町の文化財。
多分手向神社。神仏習合しているので、混ざってます。
不動寺の倶利伽羅不動尊がこの中にいらっしゃるようです。
バス停のイラストが気になる。
里に下りてきました。
護国八幡宮へ。
義仲像がかっこいい。
階段がきつい!
階段を上がったところに出てくる拝殿。幣殿・本殿と一体化しています。すべて重要文化財。
拝殿・幣殿部分は1622年、前田利常が夫人の産後平癒のために寄進したもので、1646年に完成しました。加賀前田藩領なので、何かあるとちょっとずつ寄進されます。
拝殿を横から。
幣殿(多分、左側)・釣殿(多分、ちょっと低い通路部分)と奥の本殿。釣殿は1611年、前田利長の病気の時に利常が病気平癒を祈って作ったもの。
本殿は1600年、関ケ原の戦いの北陸での争いの時に出陣前に先勝祈願で建てたもの。
本堂をアップで。
幣殿と釣殿部分をアップ。
こんな感じの小矢部市の史跡巡りでした!
次回は山形ご当地の食べ物をいくつか紹介します。
行き方
倶利伽羅峠はバスなどで向かう必要がある。ほかは駅から徒歩圏内。
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