
ウタカイ 森田季節
「 わらべうたの暗号すべて解読し、この世のすべて若葉で満たせ 」
赤い旗が五人中四人挙がる。よし、二点ゲット! でも私は加点法じゃなくて減点法で計算してる。つまり相手へダメージ二点。
ウタカイは十五点先取がルール。私の得点はただいま十二点。つまり敵の残りライフは三点。全員の旗があがれば即死圏内。敵――ええとなんて名前だったっけ――はもろに焦ってる。焦れ焦れ焦りたまえ。地に足つかない精神状態でいい歌なんて詠めるものか。でも、ここでじっとしてるわけにもいかないことは敵もわかってる。おたおたとしながら挙手。そりゃ、そうだ。腐っても全国大会準決勝、右も左もわからぬ雑魚はあがってこれぬ。
「白、荒神(こうじん)、どうぞ」
感情のまるで見えぬ主審の声。何年修行しても私は審判にはなれぬようだ。座っているだけで想いが外にしみ出てしまう性分なので。
「 まみどりにまぎれたアゲハ追いかけて、まだ薄寒い牧かけめぐる 」
旗は二本。得点にはならぬ。つまらない歌ね。強引に「ま」の音を続けて技巧的でしょと言ったところで、それだけの話。下の句にパワーないから上の句を受け止めることができぬのだ。ふん、荒神銀蕩児(こうじんぎんとうじ)、九州のチャンポン……もといチャンピオンもこの程度か。そんなものでこの天才奇才の登尾伊勢(のぼりおいせ)に勝てると思っているのか。私ならこう歌うわ。まみどりにまぎれたアゲハ追いかけて迷いの森にまたきちゃったよ。……あんまいい歌じゃないな。集中、集中~。
「はい!」と挙手。
また、ロボット的な主審の目がこちらを向き、「赤、登尾、どうぞ」
「 雪どけにうかれるカエル破裂しろ 春の戦(いくさ)はデスメタルです 」
旗は三本。残りライフ二。ちょっと強引すぎたか。まあ、いいわ。テーマは《春の歌》だからカエルは正解のはず。ここで桜や梅を出したらそれだけで白ける危険性大。そんなのマンヨー時代からやってんよ。あ、思いついちゃった。これは勝ちね。
「 除草剤まきちらしても雑草の根までは枯れぬ ゆくぞカエルよ 」
すべての旗が挙がる。なかなか挙げてくれなかった審判の着物のおっちゃんCも挙げてくれた。ダメージ三点! 私の勝ち!
思わず私は「イエーイ!」と後ろの客席にピースして注意される。あと、スカートもちょっとひるがえる。いかん、いかんぞ、けしからんぞ。歌は礼に始まり礼に終わる。私は荒神銀蕩児に頭を下げる。ぺこりんこ。
「よかったですよ~、さすが登尾先輩!」「伊勢やったね! あと一勝で全国制覇だよ!」
「まあ、これくらい楽勝よ。決勝もこのまま勝たせてもらうわ」
私は応援担当の和歌部の同輩後輩たちに適当に愛想をふりまく。慕ってくれる後輩は財産だ。仲のいい同輩も財産だ。頼れる先輩も財産だけど中学三年生の私には先輩がいない。まあ、高校には技能進学で合格が決まってるからそのうちできるだろ。
私は登尾伊勢。歌壇にあがって八年。歌集は五冊。最新刊の『華厳集(けごんしゅう)』好評発売中、買ってね!
会場の和歌ドームを出ようとするとまぶしい光がはためく。フラッシュ。報道陣だ。何回撮られてもあの情緒のない光には慣れない。
私は面白くなさそうでかつ偉そうな顔を作る。それが私のビジネス用の顔だから。
「十点差以上の勝利、圧勝でしたね」と記者がマイクを向ける。「これでウタカイもあと一戦を残すのみです。【熱狂の火人(かじん)】のパワーはゆるぎませんね」
「相手が何を詠むかは聞いてないから、得点差は気にしてないわ。どうせ私の歌のほうがすぐれてるから」
「まだまだ攻撃的な歌は健在ですね」
その表現に私はくちびるを尖らせそうになる。
またか。
「別に攻撃的じゃないわ。ほかの人の歌が弱々しすぎるのよ」
「しかし決勝は作風的に真逆の朝良木鏡霞(あさらぎきょうか)さんですが、勝算は?」
「誰であろうとぶちのめすまでよ」
インタビューが終わるとぞぞっと疲れが出た。
やっぱり疲れるわ。年か。みんなが望んでいる「暴力的な歌詠み、登尾伊勢」の姿はちゃんと伝わったかい?
あの人たちは私の歌のファンでもなんでもない。じゃあ、なんで取材に来るのかといえば、歌壇といういかにも古臭い世界でスキャンダルを起こす私が素材的に面白いからだ。歌壇の重鎮に暴言。とくに「生きてる価値あるの?」発言は効いた。小学生の私が年寄りたちに一丁前のことを言って立ち向かう姿が絵的に面白かったから、マスコミュニケーションの方々および視聴者の方々は歓迎した。
小学生の私はそれに乗って遊んでた。ついたあだ名が【熱狂の火人】。言わずもがな火人は歌人とかけている。小学生のまだガキだった私は、それをかっこいいと感じていた。痛い、痛いわ……。
でも、中学生になってさすがにこれはまずいと反省したのよ。自分を過剰に商品にするな。けど反省したところで、六年近く張られたシールは私だけの力でははがせない。爪を入れてはがしてもその痕は白いざらざらの紙が残ってる。
そしてマスコミュニケーションの方々は何年も経って予想通り私に飽きだした。歌壇のアイドルの私の居場所は朝良木鏡霞に奪われつつある。
またフラッシュがたかれる。しつこいなあボケナスと思い、頭をあげると、目の前に朝良木鏡霞の姿があった。
牡丹の着物に流れるような黒髪。桃色の珊瑚のかんざし。きわめつけに今時ぽっくり。怖いくらいに和風で統一した格好。
「あら、登尾さん、こんにちは、朝良木鏡霞と申します」
朝良木鏡霞はふかぶかと頭を下げた。
「それくらい知ってるわ」
「ですが、わたくしたち初対面ですから」
そう、私は朝良木鏡霞のことをずっと避けてきた。見ないようにしてきた。この子――といっても二つ上だけど――のことが怖かったから。
鏡霞と私のツーショットに白い閃光が続く。もう演出は始まっている。新旧の歌姫の競演。もちろん旧のほうが私だ。
「明日はよろしくお願いします、登尾さん」
「ふん、ぶちのめしてあげるわ」
「登尾さんって評判どおりの方ですのね」
口に手をあてて、くすりと、それはそれは上品に朝良木鏡霞は微笑んだ。「笑」という字が不適切で別の動詞が必要じゃないのというくらいその笑顔は完成されていた。
ぞくりと寒気が背骨に走った。
それは今まで味わったこともない感覚で、思わずその場に倒れそうになる。
ヤバイ。目の前に白い靄がかかってる。小学校の時に一度貧血で倒れたときの状況とよく似てる。受身なんてやったこともないから、このままばたんきゅうとアスファルトにチュ―してしまうかも……。ダメダメダメ、そんなの絶対にダメ! 初対面で失神なんて決勝を前にしてNGすぎる。どんな超展開で常識はずれのバトル漫画でもそんな話は聞いたことがない。頑張れ私、私頑張れ。なのに靄はいっこうに消えずにたゆたっている。ええい! 靄のくせに無礼な……あれ?
これは私がふらついてるせいじゃない。
その靄は、というか霞は――朝良木鏡霞の体から発せられていた。
人は朝良木鏡霞を【幽幻(ゆうげん)の歌使い】と評する。その歌を聞いただけで仙人の国にやってきたようだと。
でも、まさかこの女、存在だけでその場を桃源郷に変えてしまうというの? 歌垣(ウタガキ)を使うくらいはするだろうけど、ウタカイでもないのに、まして歌も詠まずにそんなことができるっていうの?
霞はいつのまにか私たちのまわりを何重にも囲んでいる。もはや、部活の仲間も無遠慮な報道陣も私の視界から消えた。ぼやけた世界のなかに朝良木鏡霞の着物姿だけがある。
いけない。
このままでは歌に食い殺される。
逃げようにも足が動かぬ。あの霞に包まれたら窒息してしまうだろう。そんなバカな……登尾伊勢、お前はこんなところで犬死にしてしまうの?
「では、失礼いたします」
その一言で霞はさあっと引いた。
朝良木鏡霞はさっきよりも一段とふかぶかと一礼した。そのまま報道クルーどもを連れてぽっくりをころころと鳴らしながら去っていく。
私はどきどきどきと自分の心臓が鳴るのを聞いた。危うかった。この私ともあろうものが、朝良木鏡霞の雰囲気に飲み込まれかけていた。
「先輩、どうしたんですか? ものすごく顔色が悪いですよ。先輩、超チビなんだから貧血には気をつけて下さいよ」
「ははは……御坊(ごぼう)さん、気のせいよ。気のせい……。あと、超チビとか言うな。オッカムのカミソリで刻むよ」
後輩の言葉をなんとか否定するだけで、そのときの私はやっとだった。
「先輩、オッカムのカミソリは武器の名前じゃなくて哲学用語ですよ……」
ホテルに戻ると、私は自分の名前でパソコンに検索をかける。ググググールにキーワードを入れて検索ボタンをぽちっと。ウタカイの公式ページは飛ばして、著名なウェブ選者たちのページをひらく。
「歌壇のアイドルもそろそろ限界が見えたか?」「伊勢は自分の流儀を確立した感がある。だが、逆にそれがマンネリ化を生んでいる」「気丈さ一本槍で攻めれば、【幽幻の歌使い】にぽきりと折られるぞ」「伊勢たん、はあはあはあはあはあ」
くそ、みんな適当なこと言ってくれるじゃない! 私だって真剣にやってるのよ…………はぁ。
がくっと力が抜けて、私はちびっとだけ固めのベッドにあおむけになった。
あ~、私何してるんだ。ずいぶんと弱気になってる。昔はわざわざ世間の評判なんて見ようとしなかった。私流(ワタシりゅう)でどこまでだって突き進めると信じてた。それがググググールで検索かけるレベルまで落ちてるなんて。
確かにここ最近、従来なかったタイプの批判が聞こえてくるようになった。
それまでだって私の歌を暴力的すぎると忌避した連中はたくさんいる。でも、そいつらは骨董品をありがたがってるだけの回顧主義者どもだからどうでもいい。新しいことをやるだけで文句を言う者、進むのが怖くて停滞することを正義とする者はいつの世にもいるものだ。
でも、近頃の批判は私を応援してくれた人たちの間で起こってきてる。一番露骨なのは『華厳集』のある批評だった。
「『華厳集』はある種、登尾伊勢のライフワークといってもいいものにしあがった。華やかさと厳しさ、タイトルからしても伊勢の目指してきた歌の方向性が明確に見えている。それまでの伊勢に特徴的だった「殴る」とか「ぶっとばす」とか「くびり殺す」とかいった粗暴な言葉は、「切り捨てる」「突然死」「血が一滴」といった黒光りのするような、いわば殺し屋の洗練された仕事にその質を変えてきている。しかし、しかしだ。華やかさと厳しさの追究は十二分に意義のある姿勢だと思うが、その二つの道の探索だけで終わってしまうのは才能の浪費ではないか? 伊勢は複線といわず、複々線、複々々線を目指すべきではないだろうか」【小松観蘭(こまつかんらん)「『華厳集』発刊によせてのひとつの覚書き」『UTA』六月号】
…………早い話が「ワンパターンだよお前は」ということだ。こたえないと言えばウソになるかな。私はずっと前ばかり、というか前だけを見て走ってきた。余計な枝葉は栄養を取るからといって、ちょっきんちょっきん剪定してきた。
そのツケが法律違反の高額利子となって降ってきた。それでも、ウタカイで軽く決勝までいけてるんだから、あらためて自分凄いって気もするけど。
正式名称、【全世界和歌大会】。誰もそんな言い方はしない。ウタカイで通じる。パソコンだって一発変換で出る。文字どおり、和歌における最も権威ある大会だ。
【ウタカイ 三十歳未満の部】、そこが私の参加クラス。アンダーサーティーなら誰でも可。三十一まで数えられない幼稚園児でも可。自分で言うのもなんだけど、【三十歳から五十歳未満の部】や【五十歳以上の部】と比べても注目度も高く、ある意味若者文化の発信基地と言えなくもない(そんな恥ずい発言はしないけど)。
その【三十歳未満の部】で私は自慢じゃないが三連覇を果たしている。あ、やっぱ自慢だったわ。ごめんね。このまま順当にいけば四連覇だ。――――ただし、その前にやっつけねばならぬ敵がいる。
朝良木鏡霞(あさらぎきょうか)。
彼女はこの二年ほどで突如出現し、あっという間に若い男女を中心に大人気となった、まあいわゆる時代の寵児というヤツだ。年は私より二つ上。ちょうど歌壇に出てきたときに今の私の年だった。
デビューのときは俊成(しゅんぜい)が千載和歌集で確立した幽玄調の歌を独自解釈して幽幻調と言われた。【幽幻の歌使い】の名前もそれに由来する。
でも、今の本職はどちらかというと大衆恋愛歌人だ。なよなよした調子で恋の歌を詠み、若い世代に絶大な支持を得ている。たんにテレビ局などが売り出したい一過性の流行現象――――なら気楽なんだけど、決勝まで来るからには実力も折り紙付きということになる。そのへんも含めて私にとって目の上のたんこぶなのだ。
まあ、なんやかんやで私が勝つけどね。
歌の題は試合開始直前に与えられる。たとえば準決勝なら《春の歌》だった。
お題は大事だ。自分の得意テーマに当たれば、勝利はぐっと近くなる。もし、お題が《豚の歌》で一方が養豚場の息子だったら、その息子にとって極めて有利だ。豚の出題は過去に例がないが、犬や猫は珍しくないし、去年は熊が出た。歌壇の長老の粉河白南風(こかわはくなんぷう)が「クマった」というネタの歌が多すぎるとマジギレしていたっけ。
ベッドの時計に目をやると、十二時を過ぎていた。いかん、日が変わった。お化けが出る。私は一刻も早く、布団にもぐりこむ。あまり気を揉むな。普通に考えれば実績で私が勝つ。
でも、何か悪い予感がする。朝良木鏡霞に会ってから、どうも胸の調子がかんばしくない。呪いでもかけられたのかな? 夜に弱い私は深刻に思い悩む前に眠りにつきましたとさ。寝る子よ育て。
翌朝。目覚ましのアラーム音で私は七時三十二分に目覚める。それなりに快眠した。なのに食欲はなく、ホテルのバイキングのおかゆ一杯が重かった。緊張してるのかな。
会場は昨日と同じ和歌ドームだ。全国大会の準々決勝から先はすべて和歌ドームで行われる。ホテル代金は向こう持ち。そのへんはありがたい。
決勝戦に何を着ていこうか迷ったけど、ピンクのワンピースにした。あまりにお子様な格好だけど、実際お子様なのだから仕方ない。悲しいかな、私は見事なお子様体型だ。小学生に間違われるならまだしも、幼稚園、果ては保育園ですかと言われることもなくはない。
高名なかかりつけの医師の話によると、幼い頃に受けた虐待が原因で成長が止まっているらしい。ぎゃふん。
たいへん残念で遺憾なことなんだけど、私は母親(ちなみに絵に描いたような母子家庭)にいろいろと痛い目にあわされた。これは比喩にあらず。もし、この行為を【虐待】と【虐待以外】の二つに分けるとしたら【虐待】に入るよね~ってことを私は幾度となくやらされた。広辞苑を夜の六時までにすべて書き写せなかったらご飯抜きとか。大般若経六百巻を暗記するまで寝ちゃダメとか。
私は唯一自分をこの世に産み落としたという理由だけで母親を尊敬しているが、そのほかでは完璧に軽蔑している。しかし、そんな「英才教育」のおかげで小学生で歌壇に立てる程度のボキャブラリーを手にすることができたのだから、人生何が幸いするかわからぬ。
私は部活の仲間と別れるとすぐに控え室に入る。粉河白南風とか吉野虎蘭(よしのこらん)とか橋本愚尽(はしもとぐじん)とか歌壇のビッグなのが来てるはずだがあいさつにはいかぬ。仲良くないし。とくにお局様の虎蘭は私の歌を和歌の破壊工作と絶賛大否定中だ。
たぶんこの国の和歌業界で一番偉い白南風とは全面戦争というわけではないけど、白南風の性格そのものが化学薬品で汚染されたヘドロがたまった溝のようにギトギトしているので割とケンカになる。あ~、前の盗撮事件思い出したら余計むかむかしてきた。
勝手に思い出しムカツキをしてたら時間が来た。泣いても笑ってもラスト一回。まあ、笑うけどね。畳敷きの会場にはすでに朝良木鏡霞が牡丹の着物で白い座布団に正座している。
鏡霞が白。私が赤。縁起はいい。
私は赤のほうが好きだ。
赤は熱狂の色。紅龍(こうりゅう)の色。
「よろしくお願いいたします、伊勢さん」
はんなりと鏡霞は微笑む。私はその顔も見ずに無視する。和歌というのはたったの三十一文字ですべてを表現する、高度な知的スポーツだ。阿呆みたいにゆるんだ表情でやるものではないのよ。
作戦は先手必勝。あの白いもやもやが漂う前に決める。
袴姿の主審が所定の位置につく。さて、お題発表だ。どちらかというと季節感のあるお題のほうが得意なのだけど。去年は《夜の歌》だったっけ。
「では本日のお題を発表します。題は《恋の歌》」
は、はぁ……?
私の動揺と会場の動揺とどちらが大きいか。きっと私だ。
確かに恋はレアなお題にあらず。むしろ最もメジャーなものの一つだ。けど、片方が現在進行形で《恋の歌》で活躍してる時期にこれはおかしいんではないの?
遠くの客席で粉河白南風がにやりと笑う。さらにその横では嫌われ者の吉野虎蘭がにたあ~りとと笑う。虎蘭がいきがってる私をシメたいから、こんなことを提案したんだろう。それに性格が真っ黒の白南風は人の困った顔を見たいから、即了承したのだろう。
はめられた。この勝負は私をつぶすためにある。
会場のざわめきは私のようなブーイング的発想とは異なるようで、基本的に正のものだ。朝良木鏡霞がどう活躍するんだろうという期待。その期待が観客席をぐるりと覆っている。そりゃあ、まあ、そうなるよね……。
不幸中の幸いなのは鏡霞がどよめきにもお題にも我関せずでほえほえとした笑顔のままでいるということ。これでこいつまでにやりと笑ったら髪の毛を三十本は抜いてやるところよ。
やるしかない。退路は断たれた。
「それでは決勝戦はじめ!」
芯の通った主審の声。どうか、公平な判定をお願いするわ。
ぴんと伸びた指先が天にあがる。さすが鏡霞。恋となると早い。
「 やわらかな夜のにおいをかぎながら そっとあずける腕まくらかな 」
一瞬、会場の空気が止まった。あらゆる時間が停止。そして、さっと挙がる五本の白い旗。いきなりの満点……。そんなのアリ?
爆撃でも起きてるのかってくらいの拍手の嵐。開始早々ストレートを食った。ダメダメダメ。絶対ダメ。この空気に呑まれてはダメ。呑まれるとか食われるとか受動態になったら、いい歌は決して読めぬ。
おいおい、何をぼさっとしてるの。敵のほうが有利な題でじっとしてたら、サンドバッグ間違いなし。打っていかなければ。はい!
「 限りなく鼠に近い猫年のあなたのワルツ犬も食わない 」
また、会場が静まる。今度は悪い意味で。旗はゼロ。カスな歌、死んだほうがいい歌って証だ。「どこが恋なのかワケわかんない」という観客の苦情。
いけない。いつもの戦略じゃダメだ。
私は恋愛はたいてい、こんな調子でよく言えば前衛的な、わるく言えば意味不明な歌を連発して物量でつぶす。じっくり悩んでもあんまり湧いてこないのだ。自分では下手な鉄砲数打てば当たる作戦と呼んでいる。
しかし今日はダメだ。弾が多くても不発弾を打っている間に叩き潰される。挽回、挽回……。
でも、挽回どころじゃなくなった。
霧が私たちの間にたちこめる。
もやもやもやもやもやもやもやもやもやもや。
最低。先に歌垣を作られた。ハンデをあげてる余裕はないのに。
古今東西、優れた歌人はその場を自分の歌で支配することができる。人によっては結界といったり、歌垣といったり統一性はないけど、まあ私は歌垣と呼んでいる。歌で作られた垣根。外の喧騒や空気を遮断して自分に都合のいい場所を作る。
それにはまりつつある。
もくもくとお香のように霧だか靄だか霞だかを発生させるのが、【幽幻の歌使い】様の歌垣、『恋霞(こいがすみ)』だ。そのヤバさは昨日じゅうぶん堪能した。まあ、分析はいいのだけど、どう抜け出したものか……。
詠むしかない。
「 洗剤をお前の胸に注射して清らかな血で清らかなキス 」
胸に手をあてて詠んだ。そういうポーズをとりたかったんじゃない。苦しかったのだ。歌垣の霧がただの霧なんてはずはあらぬ。グレート・ムタの毒霧よりも深刻な神経毒であってもおかしくない。
しかし、力をフルに使って詠んだ分、出来はそこそこのはず。一点でも入れば流れを変えられるかも。
なのにたなびく霞の向こうに挙がった旗は――――二本。ゼロ本も二本も無効は無効。やはり、空気のせいだ。この和歌ドーム全体が朝良木鏡霞に期待を抱いている。私はチャンピオンなのに防衛することを許されておらぬ。
またひどく離れたところから観客の声。「伊勢の歌は技巧だけで詠んでる感じがする」だと。ああ、もう、歌垣を作ってるなら観客だってシャットダウンしなさいよ! でも批判は正しいわ。当たり。大当たり。サマージャンボ一億円。
私は心をこめて《恋の歌》が詠めない。
だって、私は恋をしたことがないから。
致命的な欠陥。本質的な問題。絶望的な事態。約十五年の人生のうちで人に恋焦がれた記憶がない。ちっともない。告白された経験はある。それはた~くさんある。仕事柄メディアの露出も多いし、追っかけのファンだっているんだから。
でもそんなくだらない告白は全部はねのけて、つっぱねて、ミンチにしてきた。だってそうでしょ。歌人の私に、「愛してます」とか「付き合って下さい」とか侮辱でしょ。それこそまともに五七五七七にまとめてこいって話よ。そんな形式、いやもっと単純に言うぞ。ルール。ルールも理解してない阿呆にはお決まりの返歌を叩きつけることにしてる。
「愛してる」お前の愛の総量はたったの1キロバイト以下かよ
そんなふうに肩で風を切ってきた。それがトゥルー。それがオールライト。それがフォーエバー。そのつもりだったけど、その正しさのせいで私は負けそうだ。
嗚呼、霧がたちこめる、たちこめる。胸が苦しい。ただ重く、重たく、何も考える気がおきぬ。質の高すぎる本の読後感に似ている。つまりグロッキーってこと。
『あの、もしかしてお病気でしょうか?』
頭にテレパシー的なものが響く。歌垣使用者の特権だ。自分の領域内では口すらひらかず、思念を伝えられる。
『何が「お病気でしょうか?」よ。あなたの歌垣のせいじゃないの。幽幻の看板に偽りなしね』
『え? わたくしのせいではありませんわ。わずかばかりは霞も出しておりますが、毒なんて入っておりませんし……それに伊勢様もご存知だと思いますが、わたくしは恋の歌を詠むときは幽幻調を意識いたしません。ですから霞も自分のまわり程度に……』
じゃあ、このスモッグは誰の仕業だ? 演出のためにドライアイスを持ってきた覚えはあらぬ。
『お困りのようですが、それも含めて勝負。わたくしは全力でいかせていただきますゆえ』
それで通話がとぎれた。今度は耳のほうに鏡霞の声。
「 隠してもコートはウソを知ってるわ 罪の残り香いつまでも濃く 」
白旗四本。二ダメ。あっというまに五点差。ボロボロ。じりじりと攻められてる。こちとら呼吸すらやっとというのに。もう鏡霞の顔を見るのも怖い。
「 二月まで君とかよったのぼり坂 近道のそばでそっとながめる 」
なんだ、それは。表現も技法もたいしたことない。歌謡曲のチンケな歌詞と同レベルの世界観だ。でも、旗は三本。15-9。
これが心とかよくわからないもののこもってる違いなの? 鏡霞の歌からは、カレシが遠くの大学に行ってしまって離ればなれですという素朴な悲しみが入っている。まだ高校生の朝良木鏡霞にそんな実体験なんてないけど。それでも聴衆には審判にはリアルに届く。それはきっと鏡霞が恋人との別れとかいうものを通過してきたからだと思う。
朝良木鏡霞は心をこめている。ついでに霧もこもってる。歌垣『恋霞』は周囲の人間のシンパシーを異常に高ぶらせるのだ。その差はでかい。でかすぎる。
私は何もできずに硬直する。恋もしたことのない自分に《恋の歌》を詠む資格などあらぬ。だって、それは何万首続けても、嘘っぱちじゃないか。実在の人物と一切関係ないフィクション。
偽物の陳列で点数を稼いではならぬ。私はプロなのだから……。
つまり私は試合を放棄したのだ。
もう、後は煮るなり焼くなり好きにして。焼くのはきつそうだから煮て。いくらでも公開リンチをすればいいわ。
その間に鏡霞は順調に加点する。気づけば残りライフは四点。数あるウタカイのなかでもパーフェクト試合なんてそうそうあるものじゃない。私は前例を、汚点を作ってしまおうとしている。
【幽幻の歌使い】、正直あなたは素晴らしいわ。あなたは私にないものを持っているから。華やかさと厳しさしか追ってこなかった私はあなたが息を巻く歌なんて永久に詠めないのでしょうね。
あなたは私の憧れ。私は白い世界から抜け出せないまま胸を押さえて窒息していくの。酸素のない世界では炎はくびり殺されるしかない。あなたが憎い。あなたを殺してしまいたい。なのに、なのに私はあなたから目を離せない。
――――あなたが恋しい。
………………………………いや、ちょっと待て。待ちなさいよ。もしかしてこれは。この気持ちは、私が探し求めていた………………………………あ……あぁ! あ……ははははははははははははははははは!
ようやく気づいたわ。遅すぎるかもしれないけど私は手を挙げる。ついでにテレパシーのほうも使わせてもらう。
『あ、ちょっと今から重大発表させてもらうから、心して聞いてね』
『え、どういうことですか?』
『聞けばわかる』
「 今ちょうど気づいたばかりのこの気持ち 伝えておくわ『愛しています』 」
もちろん目も鏡霞の目を見て詠んだ。鏡霞の落ち着きはらった表情にひとすじのひびが入る。
そのあとに二点のダメージ。とても大きな壁が崩れた。
霧も晴れた。当然だ。その霧は私が勝手に見ていたものだったのだから。
単純なこと。あの胸の苦しみは恋だったのだ。
私は昨日初めて出会った朝良木鏡霞に一目ぼれしてしまったのだ。その胸騒ぎの意味もわからず、自分で白い靄をかけて朝良木鏡霞を見ないようにしていた。
これが恋わずらいというものか。なんてこと。なんて愚かなの、登尾伊勢! 自分から病んでいては勝てるわけがないわ。しかし、しかしだ。これで私は《恋の歌》が詠める。それもできたてほやほやの《恋の歌》を。
『あの……伊勢様、さっきのは……』
『こんなときにウソなんて言わないわ。それじゃ、追い上げないといけないのでまた後で』
「 審判を今すぐガスで気絶させ、あなたの着物溶かしてみたい 」
これは観客席にも伝わったようだ。おかげで空気がおかしい。おかしくてけっこう。いくつもの他人の目の前で恋心を打ち明ける。これほど強力な《恋の歌》なんてある? だから過半数以上の票が入る。入れざるをえない。
朝良木はさっきまでの私みたいにおろおろ。心配しないで。私の愛はヴァイオレント。じっとしている間に跡も残さず奪い取ってあげる。
「 何もない イチから君と集めたい 古くさいこと新しいこと 」〇点。
「 バカみたく稲食い散らすイナゴ的恋愛法でむさぼりつくわ 」〇点。
「 黒髪にわしゃわしゃ泳いで溺れたい 乱れた紅に紅を重ねて 」一点。
「 秘め事は蜜の味だわ どろどろといつもの朝焼け血の池じごく 」〇点。
「 のけものの獣のようにふらふらと寄りかかるなら君の首筋 」〇点。
「 愛なんてウソくさいのは信じない ただ体温がそこにあるだけ」〇点。
「 宇宙から君を隠して見る夢は嘔吐の後の胸のしずけさ 」一点。
「 反省をする暇なんて作らない 二人で今日も罪をおかそう! 」二点。
私は攻めた攻めた攻めた。頭に浮かんだ言葉を直接ぶつけた。その大半はまともな雰囲気で見ればとるにたらない歌ばかりだ。でもね、この空気はたかぶっている。【熱狂の火人】の私のせいでぐつぐつと煮えている。まさに魔女の大釜。五右衛門風呂。炮烙(ほうらく)の刑。
鏡霞だって時代の寵児。痛い恋文はいくつも受け流してきたはずだ。しかし私の歌は流すなんてことはできない。触れた途端に灼熱で手の皮がくっつくから。火傷なんかじゃすまない。受け止めた途端、焼け死ぬの。
それでも私のライフが四点なのは変わらぬ。それを鏡霞もわかっている。ゴホンと咳払いして歌を詠む。
「 しぐれぐも 浮気な空をながめては木の葉とともに落ちる涙ね 」
白旗三つ。6対3。満点が出れば私の負けだ。その一点で鏡霞は人心地を取り戻す。あ、何冷静に観察してるんだ、私は! 私が手を挙げる暇も与えずに白い手をかかげる。しまった、後手にまわった!
けど、私はかけらも敗れる気がしなかった。
「 氷さえ溶かしてしまう春風でなぜ溶かせないあなたの心 」
つまらない。旗は一本も挙がらない。朝良木鏡霞は詠んで初めて自分の失策に気づく。初めてくやしそうな顔をする。枯渇。朝良木鏡霞はパワーを使い果たした。彼女の場数では即興で高レベルの歌はまだ詠めない――それだけじゃないことに鏡霞は気づいているだろうか?
そこを私はスマートに侵略する。みんな、ご存じ? もう、この会場は私のオンステージ。【熱狂の火人】の歌垣。縦横無尽。傍若無人。
朝良木鏡霞、引導を渡せ。渡しなさい。渡すのよ。
歌を詠む許可を得た私は、すっくと立ち上がる。一歩、二歩、三歩、朝良木鏡霞が座る座布団の前にまで進む。
ルール上はありだ。畳に座って詠まないといけない法はあらぬ。対戦相手に触れさえしなければ。
私はそこで自分の歌垣の力を解放する。
世界中の赤という赤より赤い龍が、私の背後から炎と共に登る。
登「尾」なんてことはない。「口」からこの龍は登ってくるの。喰らいつくために。
これが登尾伊勢の歌垣、『紅龍の登り口』。すべてを焼き尽くす。なんでも食い漁る。あらゆるものを討ち果たす。
ここからは私が法だ。ルールだ。だって、「法」って「水が去る」って書くじゃない。私の炎で沸騰させて干からびさせる、それこそ私の世界のルール。
私は鏡霞の目の前でこう詠む。
架空の獣が鏡霞の頭に噛みつくのと同時に。
「 歌なんてもどかしいのはやめにして くちびるどうし くっつけあおうよ 」
「あっ……」
鏡霞は鼻血を出して、ふらつく。当たり前だ。この私から愛を語らわれて平気でいられるものか。さっと五本の真っ赤な旗が踊る。鏡霞の残りライフは三点。やっと同点。まあ、悪いけど勝負はついてる。
あなたの『恋霞』は紅龍にすべて燃やされて掻き消えている。その通り道には灰さえ残さぬ。それが私の正義。それが私なりの愛し方。
悪いけれど、私に愛されたからには、一緒になってもらうわ。
私はその場で手を挙げる。
「……赤、登尾伊勢、どうぞ」
はい、いきます。最後は私らしくスタンダードに決めてみましょう。
「 記念すべきファーストキスの瞬間に銀河の隅まで爆竹が鳴る 」
判定を見るまでもない。無論満点。それを聞いた鏡霞は後ろにひっくり返った。宇宙規模の独占欲にあてられたのね。しかも下品だし。
しかしすべての歌は生々しいし、汚いし、血だってどばどば出るものなのよ。歌は原始時代からありのままの自分をさらけだす道具なんだから。お上品なままでいては歌のほんとうの力にお触りすることなんてできないわ。なんてちょっと真面目ぶったことを言って、私は会場を後にするのでした。チャオ。
さて後日談を書かせてもらおう。翌日の新聞はえらいことになった。スポーツ新聞まで私の「ご乱心」が一面に来てた。乱心なんてひどい。そんなこと言ってたら私は外出も許されないわ。あ、それと初デートが決定したわ。
試合のあと、授賞式では鏡霞は「ふつう」を装っていたが、裏で私に呼び止められるとすぐに過呼吸になった。ごめんね。けど、向こうも覚悟を決めたのか、
「わたくしは何もかも伊勢様に敗れました。伊勢様が行くとおっしゃるならどこへなりともついていきます。そう、たとえば……ほてる……きゃあ!」
なにやら勝手に鏡霞は盛り上がっていた。けっこうノリのいいタイプなのかも。
「まあ、私はどこにいくか、はっきり決めてるからね~」
「ごくり」と鏡霞が生唾を呑みこんだ。
「動物園」
一瞬、鏡霞の目が点になった。
「どうして? 完璧なはずじゃないの? デートって動物園や映画館に行って、六時になるまでにちゃんと家に帰る、ああいうイベントじゃないの?」
「ああ、そういえば、伊勢様の家は超スパルタで育てられたのでしたっけ。ふふふ、それだったらゆっくりと動物園をまわりましょうね、伊勢様!」
やたらと鏡霞に笑顔で返された。なんだか腑に落ちないけど落ちない理由もよくわからないし、まあいいか。
「 飼育員 ペンギンシロクマ逃がすのよ 私の熱でプール干上がる 」
了
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