もうすぐバレンタインデーですね。ちょっとイラっときたので、小説家らしく、短編小説で批判することにしました。仕事たまってるのに、衝動的に一時間30分くらいで書いてしまいました。何、やってるんだ、自分……。
ちょこきる
「このチョコの片方には毒が入ってるの(にこっ)」
にこっ、とそれはそれは幼い子供みたいな裏のない、いい笑顔で血香(ちか)ちゃんは言った。うん、君の笑顔は素敵だし、つやつやの髪だって素敵だし、君の身体も素敵だし、あと君が吸血鬼だってありきたりの設定もなんとか受け入れてあげられるくらいの度量の広さを僕は持ってる。
でもさ、その、やたらと一緒に死にたがるっていうのはどうなのさと思う。
だって、まあ、その、なんだ、心中しましょうっていうのならわかる。いや、わかりたくはないけど、太宰治みたいでそこにはロマンがある――――のかなあ? 厳寒の青森の景色を想像して、死と重なった雪景色がイメージされてとてもロマンとは程遠いなあと思ってしまった。いやいや、こんな思考の垂れ流しはやめよう。そんなことしても現実は逃げてくれてないし、僕も現実から逃げられない。
つまり、僕が困惑してるのは、吸血鬼の血香ちゃんは毒くらいじゃ死なないので、一方的に僕だけ死ぬの確実だよね? それってずるくないですか、ということだ。
でも、そんなわかりきった文句は言わない。血香ちゃんはそんなわかりきったことは百も承知なんだ。たとえ、無茶苦茶な要求をしてくるとしても、僕の通ってる大学よりはるかにグレードの高い大学に通ってらっしゃるインテリな血香ちゃんが、無知ゆえにこんなことを言ってくるわけがない。血香ちゃんは確信犯で、僕が文句を言ったって聞く耳なんて持たないのだ。
先日だって僕の一月の誕生日に一個だけ猛毒が入ってるプチシューでロシアンルーレットをやられてさ、「普通こういうのってワサビとかじゃない?」「信(まこと)君、でも、わたしは普通じゃないよ(キリッ)」といい笑顔で返されて、世界一危険な誕生日を迎えたばかりだった。幸い、僕の強運のおかげで、誕生日を命日にするのは阻止できた。ちなみに僕の名前は源信(みなもとまこと)って言います。
そう思ってたら、今度はバレンタインネタか。
でも、これを乗り切れば次は夏場くらいまで何もイベントはないはずだ。この年でひな祭りはないだろうし、五月の節句も関係ない。六月は早く出てきたセミの声を聞いて嫌な気分になるくらいだろう。海や山に行くのは七月から、半年は生きられる。
でもさ、もう心中って部分なくなってきて、僕を殺すことが目的になってきてない? 食べるの僕だけだもんね。プチシューは毒が血香ちゃんが毒を当ててうめき苦しんで、強靭な生命力で生き残った。つまり、リスクがあったけど、これ食べるの僕だけだもんね。
さて、僕はテーブルの上の二つのラッピングチョコに目をやった。片方が赤の包装、もう片方が黒の包装。
「まず一番大事なところから聞くよ。もう片方のチョコにも毒物が混入してますってことはないよね?」
「そんな卑怯なことはしないよっ。誇り高き吸血鬼は嘘をつかないの」
――だそうです。とにかくイチローの打率よりはるかに高い確率で僕は生き残れるんだ。チャンスはある。
「ちなみに、毒以外に変なものが入ってるとかいうオチもないよね?」
「あ、わたしの血を入れてみたよっ」
「うわあ、普通にグロいことするなあ」
「ほら、早く食べてみてよ。赤と黒、どっちにする?」
雑談で乗り切るのもダメらしい。よし、では選ぶとするか。赤と黒。なんかスタンダールの小説みたいだ。そういえば『赤と黒』のヒロインもかなりヤンでいたような気もするけど、主人公を殺そうとはしなかったよな、確か。
僕はいらないレジュメの裏に縦の線を6本引いた。
そして、線の下に「赤」「黒」「黒」「赤」「黒」「赤」と汚い字を割り振っていく。
必殺アミダクジ。
これで僕はずっとずっと生き延びてきた。
なぜなら僕には阿弥陀如来の加護があるから。
僕の名前を音読みするとゲンシン。平安時代の大僧侶で浄土真宗でも七高僧のうち、「第六祖」と呼ばれている【恵心僧都】源信の生まれ変わりだ。平安時代の源信はとにかく浄土に関する著作を書きまくって、その名声は中国まで広まっていた。あれはきっと源信の勉強のたまものというよりは、阿弥陀如来を彼が実際に見ていたからだろう。
だって、僕の前にも阿弥陀如来がいる。
この阿弥陀様の姿は血香ちゃんには見えない。ほかの誰にも見えない。まあ、僕の狭い部屋にほかに誰もいないけど、キャンパスの中央でやろうと、満員電車の隅っこでやろうと誰にも見えない。まさに、アミダ様がみてる――あっ、このギャグすべったからナシで!
阿弥陀様は微笑むだけ。決して何も僕に語りかけない。それでも僕には十分だ。阿弥陀様が見守ってらっしゃるのだから、僕が死ぬわけがない。失敗するわけがない。失敗して死んだとしても、阿弥陀如来様が極楽浄土に連れていってくれる。
六本の縦線の間に僕は横線を適当に入れる。フィーリング、フィーリング。そして、その紙を血香ちゃんに渡す。
「さあ、好きなだけ線を入れて」
僕はじっとこの危ない吸血少女の目を見る。
「僕の生死を決めるのは君だ」
「ああ、やっぱり信君はかっこいいなあ」唐突にデレた。男も命懸けてるんだから女もデレるくらいして当然だけど。「よしっ、今度こそ信君を完璧にわたしのものにするね。絶対に誰も奪えない状態にするから」
「のぞむところだ」
血香ちゃんは真剣な顔で、「いち、にい、さん、死っ!」と四本の線を引いた。
「じゃあ、スタートするよ」
一番右から二つ目の線を選ぶ。なぜかというと、その線の先に阿弥陀様がいらっしゃるからだ。まず左に折れる。
また、左に。
そこから右に。
また左に。
また左、そのままゴール。
たどりついた先は「黒」
僕はゆっくりと黒の包装をあける。中には「I LOVE YOU」の飾り文字。どんなに屈折していても血香ちゃんが僕を愛してくれてるのは間違いない。だから、僕も全力でその愛を受け入れる。
まず一口。ビターな味わいのなかに濃厚なコクがある。既製品の味とは違ってちゃんと愛情がある。これがバレンタインチョコの醍醐味だ。醍醐って確か元は乳製品って意味だったよな。じゃあ、まさしくミルキーな味だ。
ゆっくりと血香ちゃんの血か毒が入ったチョコが僕の体内に入っていく。それだけで僕はすごくエロティックな気持ちになって、全能感に似た気持ちになって、来年もこのチョコを食べたいなとマジに思った。たとえ、それが命懸けの選択をはらんでるとしても。
僕は血香ちゃんの作ったものを食べている。どっちかというと、吸血鬼のほうが人間を捕食するんだけど。でも、どっちにしろ、そこに愛があるなら、愛がちゃんとあるなら、それでいいんじゃないかな。自分のおなかに入れてあげるってことは多分原初的な愛のコミュニケーションの形なんだ。
三分もせずに僕はすべてのチョコを食べた。
今のところ、変調はなくて、口の中にはチョコの味しかしない。
僕はじっと血香ちゃんを見つめる。血香ちゃんも見つめ返す。お互い、恋人にしか見せない表情で。
「血香ちゃん、たとえこれで死んでも僕は君を恨まない。一生愛し続けてやる。勝手に永遠を約束させられた下手な恋愛譚の登場人物よりはるかに深く」
かすかに彼女の目がうるんだ気がした。それにどんな理由があっても構わない。だって、僕は彼女を愛してるんだから。その理由を探る意味もない。
「せ」
閉じられていた血香ちゃんの口がひらかれる。
「セーフだよ。それは血入りのほう」
血香ちゃんが審判みたいに両手を横に伸ばした。
助かった。
肩の力ががくっと抜ける。生き延びた。ふう、これで半年は安穏と生きられる。よかった、よかった……。
「血香ちゃんの血の入ったチョコ、おいしかったよ」
こんな皮肉も言えるくらいだ。
「あちゃー。失敗かー」
血香ちゃんはおでこをぺしっと叩いた。そんな仕草も今なら許せる度量が僕にはある。
これでまた僕らはだらだらと恋愛らしきものを続けるのだ。いつ終わりになるかわからないけど、恋ってそれくらいのほうが燃えるだろ?
「じゃあ、赤いほうも食べてね(にこっ)」
血香ちゃんはまたにっこりと笑う。
「え?」
あれ、話がおかしくないかな?
「消去法でいくと、そっちには毒が入ってることにな・り・ま・せ・ん・か?」
「うん」
また、抱きしめたくなるような笑顔で。
「わたし、どっちか片方だけ食べて、なんて言ってないよ。どっちもわたしの愛情がたくさん入ってるから残さず食べてよねっ」
あれ、うそ、これ、何の冗談……。
「マジだよっ!」
そう言って、血香ちゃんは赤いほうの包装を解いて、チョコを僕に突きつける。そこには「I KILL YOU」の文字。うわ、わかりやすっ。
「わたしはね、絶対に信君を手に入れたいんだよ。前のロシアンルーレットの時に気づいたの。とにかく、誰にも信君を触れさせたくない。信君を全部ほしい。それで、わかったんだ。選択肢なんてあったらダメなんだって。そんなものがあるから、信君がほかの女の子のところに行っちゃう危険があるんだよ。だから、そんなものはいらない。わたし以外の何ものもなくなってしまえばいいんだ」
これが吸血鬼の愛なんだ。僕は悟る。この愛を受け止めるのに生身の身体は弱すぎるんだ。
アミダクジの奥にいたはずの阿弥陀様はもういなくなっている。
そうだ、この世界に血香ちゃん以外の登場人物はいてはならないんだ。ほかの誰かとくっつくかもしれないから。人間がたくさんいれば何通りもの可能性が生まれてしまうから。登場人物が二人しかいない物語で、ほかの誰かを愛することは絶対にできない。いや、その自分以外を愛さないという手段もある。でも、それだって今僕が死んでしまうということで排除できる。
ああ、僕は完璧に愛されているんだ。
「ちなみにどんな毒?」
「食べたら十分で血を吐いて死ぬよっ!」
「ふう……ねえ、血香ちゃん、明日結婚式をしよう。できるだけたくさんの友達も知り合いだけど仲がよくもないヤツもみんなみんな呼んで、結婚式をしよう」
「うん、そうだね」
僕と血香ちゃんはどちらかでもなく、抱き合って、チョコレートの甘さが広がったままくの口でキスをした。それから携帯で片っ端からメールを送る。『俺、明日結婚するんだ』って。
赤い包みのチョコレートもおいしかった。
むしろ、さっきのより情念がこもってる分、おいしい気がした。全部食べ終えた頃にはおなかが痛くなってきた。死ぬ前に服を着替えないといけないな。初めて血香ちゃんと会った時のよそ行きの服に。
完食。おなかを押さえながら僕は言った。
「ごちそうさま」
END
ちょこきる
「このチョコの片方には毒が入ってるの(にこっ)」
にこっ、とそれはそれは幼い子供みたいな裏のない、いい笑顔で血香(ちか)ちゃんは言った。うん、君の笑顔は素敵だし、つやつやの髪だって素敵だし、君の身体も素敵だし、あと君が吸血鬼だってありきたりの設定もなんとか受け入れてあげられるくらいの度量の広さを僕は持ってる。
でもさ、その、やたらと一緒に死にたがるっていうのはどうなのさと思う。
だって、まあ、その、なんだ、心中しましょうっていうのならわかる。いや、わかりたくはないけど、太宰治みたいでそこにはロマンがある――――のかなあ? 厳寒の青森の景色を想像して、死と重なった雪景色がイメージされてとてもロマンとは程遠いなあと思ってしまった。いやいや、こんな思考の垂れ流しはやめよう。そんなことしても現実は逃げてくれてないし、僕も現実から逃げられない。
つまり、僕が困惑してるのは、吸血鬼の血香ちゃんは毒くらいじゃ死なないので、一方的に僕だけ死ぬの確実だよね? それってずるくないですか、ということだ。
でも、そんなわかりきった文句は言わない。血香ちゃんはそんなわかりきったことは百も承知なんだ。たとえ、無茶苦茶な要求をしてくるとしても、僕の通ってる大学よりはるかにグレードの高い大学に通ってらっしゃるインテリな血香ちゃんが、無知ゆえにこんなことを言ってくるわけがない。血香ちゃんは確信犯で、僕が文句を言ったって聞く耳なんて持たないのだ。
先日だって僕の一月の誕生日に一個だけ猛毒が入ってるプチシューでロシアンルーレットをやられてさ、「普通こういうのってワサビとかじゃない?」「信(まこと)君、でも、わたしは普通じゃないよ(キリッ)」といい笑顔で返されて、世界一危険な誕生日を迎えたばかりだった。幸い、僕の強運のおかげで、誕生日を命日にするのは阻止できた。ちなみに僕の名前は源信(みなもとまこと)って言います。
そう思ってたら、今度はバレンタインネタか。
でも、これを乗り切れば次は夏場くらいまで何もイベントはないはずだ。この年でひな祭りはないだろうし、五月の節句も関係ない。六月は早く出てきたセミの声を聞いて嫌な気分になるくらいだろう。海や山に行くのは七月から、半年は生きられる。
でもさ、もう心中って部分なくなってきて、僕を殺すことが目的になってきてない? 食べるの僕だけだもんね。プチシューは毒が血香ちゃんが毒を当ててうめき苦しんで、強靭な生命力で生き残った。つまり、リスクがあったけど、これ食べるの僕だけだもんね。
さて、僕はテーブルの上の二つのラッピングチョコに目をやった。片方が赤の包装、もう片方が黒の包装。
「まず一番大事なところから聞くよ。もう片方のチョコにも毒物が混入してますってことはないよね?」
「そんな卑怯なことはしないよっ。誇り高き吸血鬼は嘘をつかないの」
――だそうです。とにかくイチローの打率よりはるかに高い確率で僕は生き残れるんだ。チャンスはある。
「ちなみに、毒以外に変なものが入ってるとかいうオチもないよね?」
「あ、わたしの血を入れてみたよっ」
「うわあ、普通にグロいことするなあ」
「ほら、早く食べてみてよ。赤と黒、どっちにする?」
雑談で乗り切るのもダメらしい。よし、では選ぶとするか。赤と黒。なんかスタンダールの小説みたいだ。そういえば『赤と黒』のヒロインもかなりヤンでいたような気もするけど、主人公を殺そうとはしなかったよな、確か。
僕はいらないレジュメの裏に縦の線を6本引いた。
そして、線の下に「赤」「黒」「黒」「赤」「黒」「赤」と汚い字を割り振っていく。
必殺アミダクジ。
これで僕はずっとずっと生き延びてきた。
なぜなら僕には阿弥陀如来の加護があるから。
僕の名前を音読みするとゲンシン。平安時代の大僧侶で浄土真宗でも七高僧のうち、「第六祖」と呼ばれている【恵心僧都】源信の生まれ変わりだ。平安時代の源信はとにかく浄土に関する著作を書きまくって、その名声は中国まで広まっていた。あれはきっと源信の勉強のたまものというよりは、阿弥陀如来を彼が実際に見ていたからだろう。
だって、僕の前にも阿弥陀如来がいる。
この阿弥陀様の姿は血香ちゃんには見えない。ほかの誰にも見えない。まあ、僕の狭い部屋にほかに誰もいないけど、キャンパスの中央でやろうと、満員電車の隅っこでやろうと誰にも見えない。まさに、アミダ様がみてる――あっ、このギャグすべったからナシで!
阿弥陀様は微笑むだけ。決して何も僕に語りかけない。それでも僕には十分だ。阿弥陀様が見守ってらっしゃるのだから、僕が死ぬわけがない。失敗するわけがない。失敗して死んだとしても、阿弥陀如来様が極楽浄土に連れていってくれる。
六本の縦線の間に僕は横線を適当に入れる。フィーリング、フィーリング。そして、その紙を血香ちゃんに渡す。
「さあ、好きなだけ線を入れて」
僕はじっとこの危ない吸血少女の目を見る。
「僕の生死を決めるのは君だ」
「ああ、やっぱり信君はかっこいいなあ」唐突にデレた。男も命懸けてるんだから女もデレるくらいして当然だけど。「よしっ、今度こそ信君を完璧にわたしのものにするね。絶対に誰も奪えない状態にするから」
「のぞむところだ」
血香ちゃんは真剣な顔で、「いち、にい、さん、死っ!」と四本の線を引いた。
「じゃあ、スタートするよ」
一番右から二つ目の線を選ぶ。なぜかというと、その線の先に阿弥陀様がいらっしゃるからだ。まず左に折れる。
また、左に。
そこから右に。
また左に。
また左、そのままゴール。
たどりついた先は「黒」
僕はゆっくりと黒の包装をあける。中には「I LOVE YOU」の飾り文字。どんなに屈折していても血香ちゃんが僕を愛してくれてるのは間違いない。だから、僕も全力でその愛を受け入れる。
まず一口。ビターな味わいのなかに濃厚なコクがある。既製品の味とは違ってちゃんと愛情がある。これがバレンタインチョコの醍醐味だ。醍醐って確か元は乳製品って意味だったよな。じゃあ、まさしくミルキーな味だ。
ゆっくりと血香ちゃんの血か毒が入ったチョコが僕の体内に入っていく。それだけで僕はすごくエロティックな気持ちになって、全能感に似た気持ちになって、来年もこのチョコを食べたいなとマジに思った。たとえ、それが命懸けの選択をはらんでるとしても。
僕は血香ちゃんの作ったものを食べている。どっちかというと、吸血鬼のほうが人間を捕食するんだけど。でも、どっちにしろ、そこに愛があるなら、愛がちゃんとあるなら、それでいいんじゃないかな。自分のおなかに入れてあげるってことは多分原初的な愛のコミュニケーションの形なんだ。
三分もせずに僕はすべてのチョコを食べた。
今のところ、変調はなくて、口の中にはチョコの味しかしない。
僕はじっと血香ちゃんを見つめる。血香ちゃんも見つめ返す。お互い、恋人にしか見せない表情で。
「血香ちゃん、たとえこれで死んでも僕は君を恨まない。一生愛し続けてやる。勝手に永遠を約束させられた下手な恋愛譚の登場人物よりはるかに深く」
かすかに彼女の目がうるんだ気がした。それにどんな理由があっても構わない。だって、僕は彼女を愛してるんだから。その理由を探る意味もない。
「せ」
閉じられていた血香ちゃんの口がひらかれる。
「セーフだよ。それは血入りのほう」
血香ちゃんが審判みたいに両手を横に伸ばした。
助かった。
肩の力ががくっと抜ける。生き延びた。ふう、これで半年は安穏と生きられる。よかった、よかった……。
「血香ちゃんの血の入ったチョコ、おいしかったよ」
こんな皮肉も言えるくらいだ。
「あちゃー。失敗かー」
血香ちゃんはおでこをぺしっと叩いた。そんな仕草も今なら許せる度量が僕にはある。
これでまた僕らはだらだらと恋愛らしきものを続けるのだ。いつ終わりになるかわからないけど、恋ってそれくらいのほうが燃えるだろ?
「じゃあ、赤いほうも食べてね(にこっ)」
血香ちゃんはまたにっこりと笑う。
「え?」
あれ、話がおかしくないかな?
「消去法でいくと、そっちには毒が入ってることにな・り・ま・せ・ん・か?」
「うん」
また、抱きしめたくなるような笑顔で。
「わたし、どっちか片方だけ食べて、なんて言ってないよ。どっちもわたしの愛情がたくさん入ってるから残さず食べてよねっ」
あれ、うそ、これ、何の冗談……。
「マジだよっ!」
そう言って、血香ちゃんは赤いほうの包装を解いて、チョコを僕に突きつける。そこには「I KILL YOU」の文字。うわ、わかりやすっ。
「わたしはね、絶対に信君を手に入れたいんだよ。前のロシアンルーレットの時に気づいたの。とにかく、誰にも信君を触れさせたくない。信君を全部ほしい。それで、わかったんだ。選択肢なんてあったらダメなんだって。そんなものがあるから、信君がほかの女の子のところに行っちゃう危険があるんだよ。だから、そんなものはいらない。わたし以外の何ものもなくなってしまえばいいんだ」
これが吸血鬼の愛なんだ。僕は悟る。この愛を受け止めるのに生身の身体は弱すぎるんだ。
アミダクジの奥にいたはずの阿弥陀様はもういなくなっている。
そうだ、この世界に血香ちゃん以外の登場人物はいてはならないんだ。ほかの誰かとくっつくかもしれないから。人間がたくさんいれば何通りもの可能性が生まれてしまうから。登場人物が二人しかいない物語で、ほかの誰かを愛することは絶対にできない。いや、その自分以外を愛さないという手段もある。でも、それだって今僕が死んでしまうということで排除できる。
ああ、僕は完璧に愛されているんだ。
「ちなみにどんな毒?」
「食べたら十分で血を吐いて死ぬよっ!」
「ふう……ねえ、血香ちゃん、明日結婚式をしよう。できるだけたくさんの友達も知り合いだけど仲がよくもないヤツもみんなみんな呼んで、結婚式をしよう」
「うん、そうだね」
僕と血香ちゃんはどちらかでもなく、抱き合って、チョコレートの甘さが広がったままくの口でキスをした。それから携帯で片っ端からメールを送る。『俺、明日結婚するんだ』って。
赤い包みのチョコレートもおいしかった。
むしろ、さっきのより情念がこもってる分、おいしい気がした。全部食べ終えた頃にはおなかが痛くなってきた。死ぬ前に服を着替えないといけないな。初めて血香ちゃんと会った時のよそ行きの服に。
完食。おなかを押さえながら僕は言った。
「ごちそうさま」
END
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