好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。
今回も前回に続いて、津和野巡りです。津和野城に登城し、さらに郊外の森鴎外の生家跡などを巡ります。
津和野城の下にある弥栄(やさか)神社は多分、国衆吉見氏の信仰した神社だったと思います。
すぐ横は川。
続いてこの地域を代表する神社の太皷谷(たいこだに)稲成神社へ。18世紀後半、藩主が伏見稲荷を勧請しました。なお、いなりの表記はこれで正解です。
いかにも稲荷系の景色。
想像以上に高台だった。
こちらが社殿。
この神社の横から津和野城に上がっていけます。この下、実は中世の津和野城の曲輪が見えます。
あっさりお城のある尾根まで来ました。これは今は工事中で行けない出丸。この逆側に本城エリアがあります。
こちらも工事中でしたが、これはこれで面白い。
近世の城とは思えないぐらい本格的に山の上にあります。
ここも雲海見える日は天空の城っぽくなるのか。
しばらく津和野城の写真が続きます。
本丸跡。
本丸からの景色。
この奥は人質がいた曲輪だそうです。
高石垣はテンション上がる。
尾根上にあるので、逆側の尾根と城を画する部分があります(登ってきた側と逆の出入り口)。この手前はただの尾根になります。
城から降りてきました。藩主の普段の生活や藩の政治はふもとでやってました。やっぱり山城上がっていくの疲れますよね。
この御物見櫓は学校ができたので少しだけ離して移築したものです。
藩邸があった場所です。
奥のグラウンドもそう。
馬場先櫓は安政年間頃の建築。
ただのグラウンドにしか見えませんが、藩庁の正門跡です。
西周(にしあまね)の旧宅。哲学や科学、芸術といった言葉を訳語として作った人です。国の史跡。
母屋は火事で焼けて再建したものですが、土蔵は当時のもの。
近所に森鴎外旧宅もあります。まあ、西家と親戚なんでそばにあるのは当然か。
森鴎外の勉強部屋。
隣に森鴎外記念館があります。
鴎外のエリアから広い道を津和野駅方面に戻っていきます。
杜塾(もりじゅく)美術館門(旧弥重家住宅門) は1868年の建築。登録有形文化財。
本館も1868年の建築で登録有形文化財。なお、美術館はなんか行った時は無料でした。大庄屋の家だった建物です。
津和野町郷土館は1942年の建築で登録有形文化財。
この先はすぐに前回取り上げた街並みエリアに入ります。
こんな感じの津和野城とその周辺でした。
次回は広島県の廿日市のお寺に行きます。
行き方
津和野城は山の上にあるが、神社横の登り口から尾根まではたしか20分強もあれば尾根までは到着できたはず。神社自体が郊外にあるが、黙々と歩けば駅から徒歩で軽めのハイキング感覚で行ける(ただし城を見て回るのにはさらにそれなりの時間がかかる)。
ふもとの藩庁や藩邸の遺構から森鴎外記念館付近までは徒歩で行ける範囲。
森鴎外記念館入館料(森鴎外旧宅に入るお金含む) 600円
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