どもども。森田です。
前回の続きです。
恩智神社からちょっと下って、左手に入っていくと恩智城跡が公園にあります。高台にあって、平野を見下ろす地点で、いかにも城跡という感じです。たぶん、このへんの豪族の恩智氏の城だったんでしょう。

城跡および学校跡。
ここから東高野街道まで下ると、シュミイ地蔵という天文年間(16世紀半ば)の石仏があります。地蔵って言われてるのに、阿弥陀如来だそうです。

このなかに入ってる。
また高野街道に戻って、ちょっと進んで左にうねうね入っていくと、常世岐姫(とこよぎひめ)神社という小さな神社に着きます。地元では八王子神社という名前のほうで呼ばれてるようです。小さな神社ですが、もともと赤染氏というこの地の豪族の祖神を祀ったものだそうです。この北の神宮寺墓地に五輪塔とか層塔とか古い石像物が置いてあります。

ほんとに普通の神社。
そこからちょっと横に入っていくと、瑠璃光寺という寺が。ここは古墳の石棺に仏像を彫ったものが置いてあります。

冷静に考えたら人の棺で仏を彫るとかすごい感性だと思う。
あと、境内の横に若倭姫(わかやまとひめ)神社があります。小さな神社です。若倭部連という豪族の祖先神だそうです。ちょっと離れたところに若倭彦神社というセットの神社もあるそうですが、パスしました。

寺の境内から入ります。
寺も神社も山のほうにひっそりと建ってるだけで正月だけど、参拝客は皆無という有様でした。本当に地元民しか来ないのでしょう。
また東高野街道に戻って進んでいくと、大きな鳥居を発見。これが鐸比古(ぬでひこ)・鐸比売(ぬでひめ)神社の参道です。この名前、難しすぎる。ルビなかったら誰も読めないと思う。恩智神社と同じように登っていきます。現在の社殿は江戸時代・元禄年間の再建だそうです(ソースはウィキ)。

かなり大きな神社です。

神社からの眺め。昔はさらに見晴らしよかったんでしょう。城跡もこんな感じ。
この背後に高尾山という山があって、そこで弥生時代の祭祀遺跡が出土したそうです。
相変わらず、ウィキに頼りますと、この高尾山(標高:278m)を神体山・磐座としているそうです。ここも彦と姫に神社が分離していますが、セットで神社が並んでいます。もともとは彦のほうは高尾山山頂に祀られていたそうです。
ウィキを引用しますと「鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされている」だそうです。
かなり境内は広く、まあ、ぽつぽつと人が石段を登って参拝していらっしゃいました。ここも恩智城跡のように境内から河内平野を望むことができます。そんなに騒がしくもなく、かといって寂しいほど人がいないわけでもなく、ちょうどいい雰囲気の神社でした。こういう神社が家の近所に一つほしいですね。
階段を降りてまた南のほうに歩いていきます。しばらく行くと、ブドウ畑が広がります。このあたりは柏原市ですがブドウの産地らしいです。カタシモワインフード貯蔵庫というのもあるらしいので、ガチですな。「柏原 ワイン」で検索したら柏原ワインというのが出てきました。どんな味なのだろう。
そして、住宅地の横に清浄泉という今でも飲めるらしい湧き水が。背後にはずっと山がありますが(恩智神社の裏手や鐸比古神社の裏手の山なみが連なってずっと続いてる)、そのあたりは古墳あるそうです。まあ、このへん、古墳だらけですからね。「あのへん、古墳あるよ」って指差せばだいたい当たります。

今でも湧いてます。
さて。清浄泉のすぐ横に石神社(いわじんじゃ)というかなり大きな神社があります。ここも後ろの山を神体山としていたそうです。主祭神は石姫皇女(いしひめのひめみこ)という人で欽明天皇の皇后、敏達天皇の母親です。どうしてここに祀られているのだろう。

巨大すぎる楠木。

人気ないのは石段長いせいかもしれない。
境内は広いですが、社殿は石段を一気に登ったかなり狭いエリアにちょこんとあります。境内には巨大クスノキがドーンと居座っております。ウィキの説明を借りると、「周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている」とのこと。
もともと、このあたりには智識寺という古代寺院があり、その礎石跡が神社の境内に置いてあります。
さて、この神社、石長比売(いわながひめ)も祀っているそうです。この神様の名前はどっかで聞き覚えある人もいるんではないでしょうか。木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉です。神話だとニニギノミコトがコノハナサクヤに一目ぼれして、その父親のオオヤマツミに「娘さんを下さい」と言ったら、「よかろう。だが、姉もセットでつける」と言われて、セットで付いてきた人です。でも、イワナガヒメのほうは容姿が残念だったらしく、父親の元に送り返されました。ひどい話だけど、神話にそう書いてある。で、父親が怒って、「イワナガヒメを送り返したから、お前らの寿命短くなるぞ、知らんぞ」と言った。それ以来、人間の寿命は短くなってしまうことになった、というアレです。たぶん、誰しもどっかで聞いたことがあると思う。
イワ(いわ)は割れたりしない限りずっと長持ちしますし、ナガは永遠の「永」です。イワナガヒメというのは永遠の象徴的な名前ですね。だから、この神社では長生きをお祈りするのがよいのではないでしょうか。
神社はひっそりとしていて、ほとんど参拝する人もいませんでした。老年の夫婦ぐらいしかいなかった気が。一応社務所はあるものの正月二日にも関わらず閉ざされていて、おみくじすら売っていませんでした。神社の規模と参拝者の数が非対称になっている感じでした。イワナガヒメを祀っているのだから、延命長寿のご利益アリ(近くに清浄泉という湧き水もあるのだし)と宣伝でもすればよいのに。正直、もったいない。
そういえば、境内もどことなく薄暗くて陰気なんですね。拝殿・本殿のある石段を登ったエリアもひっそりとしていて薄暗い。これ、夜は相当怖いと思う。
この石神社で、その日の行程は終了しました。近鉄安堂駅まで石神社から10分ぐらいでしょうか。
生駒山のふもとに沿って、たくさんの神社と寺を巡ってまいりましたが、繁盛していると言えるのは恩智神社とかろうじて鐸比古・鐸比売神社ぐらいでした。やっぱり地元の人もマニアックなところにはほとんど来ないのでしょうか。石神社はとりあえず頑張ってほしい。
前回の続きです。
恩智神社からちょっと下って、左手に入っていくと恩智城跡が公園にあります。高台にあって、平野を見下ろす地点で、いかにも城跡という感じです。たぶん、このへんの豪族の恩智氏の城だったんでしょう。

城跡および学校跡。
ここから東高野街道まで下ると、シュミイ地蔵という天文年間(16世紀半ば)の石仏があります。地蔵って言われてるのに、阿弥陀如来だそうです。

このなかに入ってる。
また高野街道に戻って、ちょっと進んで左にうねうね入っていくと、常世岐姫(とこよぎひめ)神社という小さな神社に着きます。地元では八王子神社という名前のほうで呼ばれてるようです。小さな神社ですが、もともと赤染氏というこの地の豪族の祖神を祀ったものだそうです。この北の神宮寺墓地に五輪塔とか層塔とか古い石像物が置いてあります。

ほんとに普通の神社。
そこからちょっと横に入っていくと、瑠璃光寺という寺が。ここは古墳の石棺に仏像を彫ったものが置いてあります。

冷静に考えたら人の棺で仏を彫るとかすごい感性だと思う。
あと、境内の横に若倭姫(わかやまとひめ)神社があります。小さな神社です。若倭部連という豪族の祖先神だそうです。ちょっと離れたところに若倭彦神社というセットの神社もあるそうですが、パスしました。

寺の境内から入ります。
寺も神社も山のほうにひっそりと建ってるだけで正月だけど、参拝客は皆無という有様でした。本当に地元民しか来ないのでしょう。
また東高野街道に戻って進んでいくと、大きな鳥居を発見。これが鐸比古(ぬでひこ)・鐸比売(ぬでひめ)神社の参道です。この名前、難しすぎる。ルビなかったら誰も読めないと思う。恩智神社と同じように登っていきます。現在の社殿は江戸時代・元禄年間の再建だそうです(ソースはウィキ)。

かなり大きな神社です。

神社からの眺め。昔はさらに見晴らしよかったんでしょう。城跡もこんな感じ。
この背後に高尾山という山があって、そこで弥生時代の祭祀遺跡が出土したそうです。
相変わらず、ウィキに頼りますと、この高尾山(標高:278m)を神体山・磐座としているそうです。ここも彦と姫に神社が分離していますが、セットで神社が並んでいます。もともとは彦のほうは高尾山山頂に祀られていたそうです。
ウィキを引用しますと「鐸比古命は垂仁天皇の子であり、「沼滞別命」「鐸石別命」と同人とされる。和気清麻呂の遠祖であり、鐸比古命を祭神とするのは日本全国でもここと岡山県の和気神社のみとされている」だそうです。
かなり境内は広く、まあ、ぽつぽつと人が石段を登って参拝していらっしゃいました。ここも恩智城跡のように境内から河内平野を望むことができます。そんなに騒がしくもなく、かといって寂しいほど人がいないわけでもなく、ちょうどいい雰囲気の神社でした。こういう神社が家の近所に一つほしいですね。
階段を降りてまた南のほうに歩いていきます。しばらく行くと、ブドウ畑が広がります。このあたりは柏原市ですがブドウの産地らしいです。カタシモワインフード貯蔵庫というのもあるらしいので、ガチですな。「柏原 ワイン」で検索したら柏原ワインというのが出てきました。どんな味なのだろう。
そして、住宅地の横に清浄泉という今でも飲めるらしい湧き水が。背後にはずっと山がありますが(恩智神社の裏手や鐸比古神社の裏手の山なみが連なってずっと続いてる)、そのあたりは古墳あるそうです。まあ、このへん、古墳だらけですからね。「あのへん、古墳あるよ」って指差せばだいたい当たります。

今でも湧いてます。
さて。清浄泉のすぐ横に石神社(いわじんじゃ)というかなり大きな神社があります。ここも後ろの山を神体山としていたそうです。主祭神は石姫皇女(いしひめのひめみこ)という人で欽明天皇の皇后、敏達天皇の母親です。どうしてここに祀られているのだろう。

巨大すぎる楠木。

人気ないのは石段長いせいかもしれない。
境内は広いですが、社殿は石段を一気に登ったかなり狭いエリアにちょこんとあります。境内には巨大クスノキがドーンと居座っております。ウィキの説明を借りると、「周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている」とのこと。
もともと、このあたりには智識寺という古代寺院があり、その礎石跡が神社の境内に置いてあります。
さて、この神社、石長比売(いわながひめ)も祀っているそうです。この神様の名前はどっかで聞き覚えある人もいるんではないでしょうか。木花開耶姫(このはなさくやひめ)の姉です。神話だとニニギノミコトがコノハナサクヤに一目ぼれして、その父親のオオヤマツミに「娘さんを下さい」と言ったら、「よかろう。だが、姉もセットでつける」と言われて、セットで付いてきた人です。でも、イワナガヒメのほうは容姿が残念だったらしく、父親の元に送り返されました。ひどい話だけど、神話にそう書いてある。で、父親が怒って、「イワナガヒメを送り返したから、お前らの寿命短くなるぞ、知らんぞ」と言った。それ以来、人間の寿命は短くなってしまうことになった、というアレです。たぶん、誰しもどっかで聞いたことがあると思う。
イワ(いわ)は割れたりしない限りずっと長持ちしますし、ナガは永遠の「永」です。イワナガヒメというのは永遠の象徴的な名前ですね。だから、この神社では長生きをお祈りするのがよいのではないでしょうか。
神社はひっそりとしていて、ほとんど参拝する人もいませんでした。老年の夫婦ぐらいしかいなかった気が。一応社務所はあるものの正月二日にも関わらず閉ざされていて、おみくじすら売っていませんでした。神社の規模と参拝者の数が非対称になっている感じでした。イワナガヒメを祀っているのだから、延命長寿のご利益アリ(近くに清浄泉という湧き水もあるのだし)と宣伝でもすればよいのに。正直、もったいない。
そういえば、境内もどことなく薄暗くて陰気なんですね。拝殿・本殿のある石段を登ったエリアもひっそりとしていて薄暗い。これ、夜は相当怖いと思う。
この石神社で、その日の行程は終了しました。近鉄安堂駅まで石神社から10分ぐらいでしょうか。
生駒山のふもとに沿って、たくさんの神社と寺を巡ってまいりましたが、繁盛していると言えるのは恩智神社とかろうじて鐸比古・鐸比売神社ぐらいでした。やっぱり地元の人もマニアックなところにはほとんど来ないのでしょうか。石神社はとりあえず頑張ってほしい。
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