どもども、森田です。
すでにツイッターなどで書きましたが、福井県から東京都に引っ越しました。まあ、東京の中心部空は相当離れたところなんですが、まさか都民になる日が来るとは・・・。人生一寸先は闇ですね。
まあ、どこに住もうと、このブログでは寺社の写真ぐらいしかアップしませんけどね。
さて、ブログも何事もなかったかのように前回の続きです。

テーマパークのゲートっぽいですが、寺の仁王門です。
寺の建物っていくつも似たのを見ると混ざって区別つかなくなってくるんですが、これは一目でわかる、絶対にわかる。
一心寺という浄土宗の大寺院です。
歴史好きも知ってる人が多いかと。大阪夏の陣で家康の本陣があったところです。たしかに、この寺はちょっと高台にあって、周辺は坂なんです。

本多忠朝の墓。寺の看板によると、酒の呑みすぎが祟った忠朝は夏の陣で戦死、そのことを悔いた忠朝は死後、酒をやめることに力を貸す存在になろうと言ったとかなんとか。
今でも酒をやめると書いたしゃもじがたくさん奉納されています、どうしてしゃもじなんでしょうか。

しゃもじ無双。

すぐ近くの安居天神。ここは幸村の戦死の地です。
地図で見たら一心寺から直線距離で二百メートルも離れてない。たしかにこれは家康本陣まで迫ったといっていい距離です。

左はくつろいでる幸村。

天神の下の道なので天神坂。とにかく、このへん、高低差があるので結構大変です。昔は安居天神でも清水が湧いたそうですが、今は涸れてしまったとのこと。この水が湧いたというのが後々の伏線になります。

すぐ近くの合邦辻閻魔堂。脳の守り本尊として有名だそうですが、このあたりはこころなしか閻魔大王信仰が強い気がします。
なお、まさに辻、異界への入口というようなところにあります。

少し移動して、地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘駅の近くにある伝藤原家隆墓へ。新古今和歌集の選者だった彼は、この地に夕陽庵(せきようあん)という庵を結び、晩年をすごしたそうです。夕陽丘の地名の由来も家隆の歌にちなむらしく、なかなかかかっこいい地名伝承です。
この周辺は雰囲気としては落ち着いていて、市街地という感じはしません。実際寺も多いです。天王寺は出る方向で町並みが全然違うと前に誰かが言ってましたけど、たしかにそうで、ここまで極端にカラーが変わるところも珍しいかと思います。

またすぐ近くの勝鬘院しょうまんいん)へ。

沿革は不明ながら四天王寺建立時の何らかの建物の後進だろうとのことです。
今では愛染明王の信仰で有名でで、名前しか聞いたことないですが映画「愛染かつら」の舞台もここです。
写真は大阪府指定文化財の金堂(いわゆる本堂の昔の呼び方)。

重要文化財の多宝塔。かなり古い多宝塔だったらしいですが、ノブナガに焼かれて今のハ1597年に秀吉が再建したものです。市内では最古の木造建築物ということで、逆に、やはり戦争などで相当焼けたのだろうということが想像されます。たとえば神戸市の山中には室町時代ぐらいの建物はかなりあるので。
東京はさんざん空襲で焼かれたので当然として、京都も何度も焼けているので古い建物は意外と残ってません。一方で、歴史の中心から離れた奈良の建物の古さはなんか格が違う。個人の意見ですが、いろんな土地出身の奈良観光した人が似たことを言うので、ある程度妥当性はあると思います。昨日も友人の神奈川県民が酒の席でそういうことを言ってました。

両サイドの顔がちょっとキモい。

阪神ファン御用達の大江神社へ。もともと毘沙門天を祀っていたお宮でしたが、神仏習合を否定されて今では豊受大神を祀ってるそうです。なんで、食物神の豊受になったのか定かではないですが、間違いないのは毘沙門天を形の上では排除しても虎の部分は変わらなかったということ。
毘沙門天といえば、虎と昔から相場が決まっております。虎なら仏じゃないから、おっても問題ないということか、虎の神社、そのままタイガースの神社になっています。

メガホンが奉納されてます。

狛虎。あんまり怖くないです。
しかし、ここまで露骨だと、ここで中日の優勝とか祈っても無意味そうですね。こんなに信仰が偏っていてよいのだろうか。

そして、どこかで見たことあるぞという写真。これ、清水寺の写真です。でも、京都のではなくて、大阪のこの近所のものです。
似てるのは当たり前で、江戸時代初期に京都のものを模して作りました。位置的にかなりの高台にあるので、眺望がかなりいいです。昔はビルなんてなかったんで、余計によかったでしょう。
次回は滋賀県です。東京に引っ越しても、当分関西や北陸だと思いますが御了承下さい。
すでにツイッターなどで書きましたが、福井県から東京都に引っ越しました。まあ、東京の中心部空は相当離れたところなんですが、まさか都民になる日が来るとは・・・。人生一寸先は闇ですね。
まあ、どこに住もうと、このブログでは寺社の写真ぐらいしかアップしませんけどね。
さて、ブログも何事もなかったかのように前回の続きです。

テーマパークのゲートっぽいですが、寺の仁王門です。
寺の建物っていくつも似たのを見ると混ざって区別つかなくなってくるんですが、これは一目でわかる、絶対にわかる。
一心寺という浄土宗の大寺院です。
歴史好きも知ってる人が多いかと。大阪夏の陣で家康の本陣があったところです。たしかに、この寺はちょっと高台にあって、周辺は坂なんです。

本多忠朝の墓。寺の看板によると、酒の呑みすぎが祟った忠朝は夏の陣で戦死、そのことを悔いた忠朝は死後、酒をやめることに力を貸す存在になろうと言ったとかなんとか。
今でも酒をやめると書いたしゃもじがたくさん奉納されています、どうしてしゃもじなんでしょうか。

しゃもじ無双。

すぐ近くの安居天神。ここは幸村の戦死の地です。
地図で見たら一心寺から直線距離で二百メートルも離れてない。たしかにこれは家康本陣まで迫ったといっていい距離です。

左はくつろいでる幸村。

天神の下の道なので天神坂。とにかく、このへん、高低差があるので結構大変です。昔は安居天神でも清水が湧いたそうですが、今は涸れてしまったとのこと。この水が湧いたというのが後々の伏線になります。

すぐ近くの合邦辻閻魔堂。脳の守り本尊として有名だそうですが、このあたりはこころなしか閻魔大王信仰が強い気がします。
なお、まさに辻、異界への入口というようなところにあります。

少し移動して、地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘駅の近くにある伝藤原家隆墓へ。新古今和歌集の選者だった彼は、この地に夕陽庵(せきようあん)という庵を結び、晩年をすごしたそうです。夕陽丘の地名の由来も家隆の歌にちなむらしく、なかなかかかっこいい地名伝承です。
この周辺は雰囲気としては落ち着いていて、市街地という感じはしません。実際寺も多いです。天王寺は出る方向で町並みが全然違うと前に誰かが言ってましたけど、たしかにそうで、ここまで極端にカラーが変わるところも珍しいかと思います。

またすぐ近くの勝鬘院しょうまんいん)へ。

沿革は不明ながら四天王寺建立時の何らかの建物の後進だろうとのことです。
今では愛染明王の信仰で有名でで、名前しか聞いたことないですが映画「愛染かつら」の舞台もここです。
写真は大阪府指定文化財の金堂(いわゆる本堂の昔の呼び方)。

重要文化財の多宝塔。かなり古い多宝塔だったらしいですが、ノブナガに焼かれて今のハ1597年に秀吉が再建したものです。市内では最古の木造建築物ということで、逆に、やはり戦争などで相当焼けたのだろうということが想像されます。たとえば神戸市の山中には室町時代ぐらいの建物はかなりあるので。
東京はさんざん空襲で焼かれたので当然として、京都も何度も焼けているので古い建物は意外と残ってません。一方で、歴史の中心から離れた奈良の建物の古さはなんか格が違う。個人の意見ですが、いろんな土地出身の奈良観光した人が似たことを言うので、ある程度妥当性はあると思います。昨日も友人の神奈川県民が酒の席でそういうことを言ってました。

両サイドの顔がちょっとキモい。

阪神ファン御用達の大江神社へ。もともと毘沙門天を祀っていたお宮でしたが、神仏習合を否定されて今では豊受大神を祀ってるそうです。なんで、食物神の豊受になったのか定かではないですが、間違いないのは毘沙門天を形の上では排除しても虎の部分は変わらなかったということ。
毘沙門天といえば、虎と昔から相場が決まっております。虎なら仏じゃないから、おっても問題ないということか、虎の神社、そのままタイガースの神社になっています。

メガホンが奉納されてます。

狛虎。あんまり怖くないです。
しかし、ここまで露骨だと、ここで中日の優勝とか祈っても無意味そうですね。こんなに信仰が偏っていてよいのだろうか。

そして、どこかで見たことあるぞという写真。これ、清水寺の写真です。でも、京都のではなくて、大阪のこの近所のものです。
似てるのは当たり前で、江戸時代初期に京都のものを模して作りました。位置的にかなりの高台にあるので、眺望がかなりいいです。昔はビルなんてなかったんで、余計によかったでしょう。
次回は滋賀県です。東京に引っ越しても、当分関西や北陸だと思いますが御了承下さい。
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