どもども、森田です。
『魔女の絶対道徳』2巻が発売されました、よろしくお願いいたします!
この本、おそらく普通のラノベだと絶対ありえないようなマニアックな題材を扱っております。
厄神信仰についてああだこうだ書いてる小説っておそらくほぼ存在しないのではないでしょうか。だから何やねんと思われるかもしれませんが、ある意味、貴重な本なので、仏教とか研究してる人は話のタネにどうぞ。
さて、今回は成田のほうに行ってまいりました。
この時点でどこの寺に行ったか、即座にわかるかと思います。

ただ、まずは芝山鉄道に乗りに行ってまいります。
成田駅での芝山千代田行時刻表。
はっきり言って本数が少ないです。都会の電車に乗る感覚で行くとまずい。
この鉄道の特徴はいろいろとありますが、ウィキを使うと、
のと鉄道や東海交通事業など自社で路線を全く保有しない第二種鉄道事業者を除く、普通鉄道のみを保有する鉄道会社の中では、日本一保有する路線が短い。
まあ、こういう感じです。東成田~芝山千代田駅の一駅しかありません。東成田の隣は成田なので、感覚的には京成電鉄の支線みたいに感じます。
なんでこんな鉄道ができたのかというと、成田空港ができることで、不便が生じるエリアの人向けに国が作ることを決めたという経緯があります。

よくわからない行先表示。
ちなみに終点は芝山千代田駅です。
なお、東成田駅は旧成田空港駅。今は閑散としてますが、昔は空港への直結駅としてにぎわったはずです。今でもこっちからアクセスすることもできるとのこと。

都市間鉄道とは思えない表示。

短さを芝山鉄道も売りにしてますけど、わざわざここに来るのは鉄道ファンだけでは……。
一般観光客は絶対いないだろうに……。

断言するけど、駅が立派すぎる。ただ、ここ、鉄道の本社も兼ねているらしいので、それを考えれば自然か。

延伸計画はあるはずですが、本当になされるのでしょうか。
地方ローカル線とはまた違う終点の雰囲気があります。

有名な啓発ポスターを発見。

さて芝山鉄道の観光?を終えて、成田に戻ってきました。
言うまでもなく成田山新勝寺を目指します。
参道は昔からあるせいか、思ったより道幅が狭い。そこにばしばし車も走ってくるので、けっこう厄介です。車も走りづらいと思うので、もうちょっと手前で通行規制したほうがいい気が。まあ、人手が多い日は絶対歩行者のみになってるんでしょうが。

こういう建物、自分の中では、「千と千尋系」と呼んでます。
大野屋旅館という昭和初期にできた現役の建物です。国の登録有形文化財。

いざ入山。総門は超新しくて、まだ10年経ってません。
さて、成田山新勝寺というと、不動明王の信仰の寺です。平将門調伏の祈祷のために寛朝という僧が空海が開眼した不動明王を持ってここ成田にやってきました。で、無事に将門をやっつけられたので、不動明王を持って帰ろうとしたら、動かない(よくあるパターンです)。そこでここにお寺を建てた――という伝説があります。
まあ、ただ、これは伝説であって、実際に成田山の信仰が強くなったのは江戸に幕府ができてからの時代だと思われます。逆に言えば、江戸時代の庶民信仰パワーが残ってる寺です。

さて、境内に入っていきます。
奥にあるのは重文の仁王門。1830年のもの。
成田山新勝寺には5つの重文建築がありますが、すべて江戸時代のものです。そのへんからも江戸時代になってから隆盛したことがうかがえます。

仁王門に近づいて撮影。

大本堂。わざわざ大と言わなくても大きいのまるわかりです。戦後の建築。高さ32.6メートル。

三重塔は1712年のもの。重要文化財。
豪華だけど、どこか落ち着いた雰囲気もあって、独特の美しさがあります。

下から見上げてみた。

1722年にできた一切経堂。
やたらとキレイですけど、たぶん修復したのでしょう。

1858年にできた釈迦堂。重要文化財。
もともと、本堂だったものですが、戦後、大本堂ができて、引っ越してきました。

これも重要文化財の額堂。1861年のもの。もう、幕末です。

1701年にできた光明堂。これはおそらく成田山の中ではかなり古いです。

開山堂。
開山の寛朝を祀っています。

清瀧権現堂・妙見宮。
成田山の鎮守の神様をお祀りしています。18世紀にできたものを幕末に修理しました。

成田といえばウナギですが、カレーにしました。
ひとりでウナギというのもけっこうハードルが高い。
次回は山万と千葉寺に行ってきます。
『魔女の絶対道徳』2巻が発売されました、よろしくお願いいたします!
この本、おそらく普通のラノベだと絶対ありえないようなマニアックな題材を扱っております。
厄神信仰についてああだこうだ書いてる小説っておそらくほぼ存在しないのではないでしょうか。だから何やねんと思われるかもしれませんが、ある意味、貴重な本なので、仏教とか研究してる人は話のタネにどうぞ。
さて、今回は成田のほうに行ってまいりました。
この時点でどこの寺に行ったか、即座にわかるかと思います。

ただ、まずは芝山鉄道に乗りに行ってまいります。
成田駅での芝山千代田行時刻表。
はっきり言って本数が少ないです。都会の電車に乗る感覚で行くとまずい。
この鉄道の特徴はいろいろとありますが、ウィキを使うと、
のと鉄道や東海交通事業など自社で路線を全く保有しない第二種鉄道事業者を除く、普通鉄道のみを保有する鉄道会社の中では、日本一保有する路線が短い。
まあ、こういう感じです。東成田~芝山千代田駅の一駅しかありません。東成田の隣は成田なので、感覚的には京成電鉄の支線みたいに感じます。
なんでこんな鉄道ができたのかというと、成田空港ができることで、不便が生じるエリアの人向けに国が作ることを決めたという経緯があります。

よくわからない行先表示。
ちなみに終点は芝山千代田駅です。
なお、東成田駅は旧成田空港駅。今は閑散としてますが、昔は空港への直結駅としてにぎわったはずです。今でもこっちからアクセスすることもできるとのこと。

都市間鉄道とは思えない表示。

短さを芝山鉄道も売りにしてますけど、わざわざここに来るのは鉄道ファンだけでは……。
一般観光客は絶対いないだろうに……。

断言するけど、駅が立派すぎる。ただ、ここ、鉄道の本社も兼ねているらしいので、それを考えれば自然か。

延伸計画はあるはずですが、本当になされるのでしょうか。
地方ローカル線とはまた違う終点の雰囲気があります。

有名な啓発ポスターを発見。

さて芝山鉄道の観光?を終えて、成田に戻ってきました。
言うまでもなく成田山新勝寺を目指します。
参道は昔からあるせいか、思ったより道幅が狭い。そこにばしばし車も走ってくるので、けっこう厄介です。車も走りづらいと思うので、もうちょっと手前で通行規制したほうがいい気が。まあ、人手が多い日は絶対歩行者のみになってるんでしょうが。

こういう建物、自分の中では、「千と千尋系」と呼んでます。
大野屋旅館という昭和初期にできた現役の建物です。国の登録有形文化財。

いざ入山。総門は超新しくて、まだ10年経ってません。
さて、成田山新勝寺というと、不動明王の信仰の寺です。平将門調伏の祈祷のために寛朝という僧が空海が開眼した不動明王を持ってここ成田にやってきました。で、無事に将門をやっつけられたので、不動明王を持って帰ろうとしたら、動かない(よくあるパターンです)。そこでここにお寺を建てた――という伝説があります。
まあ、ただ、これは伝説であって、実際に成田山の信仰が強くなったのは江戸に幕府ができてからの時代だと思われます。逆に言えば、江戸時代の庶民信仰パワーが残ってる寺です。

さて、境内に入っていきます。
奥にあるのは重文の仁王門。1830年のもの。
成田山新勝寺には5つの重文建築がありますが、すべて江戸時代のものです。そのへんからも江戸時代になってから隆盛したことがうかがえます。

仁王門に近づいて撮影。

大本堂。わざわざ大と言わなくても大きいのまるわかりです。戦後の建築。高さ32.6メートル。

三重塔は1712年のもの。重要文化財。
豪華だけど、どこか落ち着いた雰囲気もあって、独特の美しさがあります。

下から見上げてみた。

1722年にできた一切経堂。
やたらとキレイですけど、たぶん修復したのでしょう。

1858年にできた釈迦堂。重要文化財。
もともと、本堂だったものですが、戦後、大本堂ができて、引っ越してきました。

これも重要文化財の額堂。1861年のもの。もう、幕末です。

1701年にできた光明堂。これはおそらく成田山の中ではかなり古いです。

開山堂。
開山の寛朝を祀っています。

清瀧権現堂・妙見宮。
成田山の鎮守の神様をお祀りしています。18世紀にできたものを幕末に修理しました。

成田といえばウナギですが、カレーにしました。
ひとりでウナギというのもけっこうハードルが高い。
次回は山万と千葉寺に行ってきます。
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