どもども、森田です。
今回は鎌倉の史跡をまわります。
何度か鎌倉行ってますが、森田の感覚だと合計4日あれば、鎌倉市内の史跡はほぼすべて見てまわれる感じです。公共交通機関をフルに活用すれば3日も可能かもしれませんが、たぶん観光じゃなくて修行になります。
今回は住所でいくと、扇ガ谷になっているエリアの史跡をまわっていきます。なんか、アド街みたいな導入だな。

まず寿福寺のほうに歩いて行きます。途中で巽神社があります。寿福寺の巽の方角にあるからだとか。
荒神がまつってあるようで、もともと寿福寺の鎮守だったようです。伝承によると、坂上田村麻呂が勧請して、源頼義がこの地に移したとか。

住所だと、こういう表記ですが、扇ヶ谷をまわっていきます。

寿福寺のすぐそばの八坂神社。
千葉一族の相馬師常が1192年に自分の邸宅(今の巽神社のあたり、ややこしいな)に牛頭天王を勧請したのがはじまりだそうで、そのあと、現在地に移ったようです。

さて、鎌倉五山第三位の寿福寺へ。
栄西ゆかりの寺で源実朝の時代には伽藍が整ったと書いてあったので、鎌倉の禅宗寺院の中でも相当古い部類に入ると思われます。もっとも、最初から禅宗寺院という色合いが強かったわけではなさそうですが。

奥へは入れないですが、手前までは行けます。

続いて鎌倉唯一の尼寺(東慶寺とかはもう尼寺ではないので)である英勝寺へ。
ごく最近、重要文化財に建物が指定されました。ニュースの記事を引用すると、「対象は仏殿▽山門▽鐘楼▽祠堂(しどう)▽祠堂門-の5棟」ということだそうですので、この山門も重文ですね。

仏殿も重文に格上げ。なお、建築は江戸時代のものです。感覚的なもので、調査とかはしてないですが、ここ最近江戸時代の建築の重文格上げ(および一部で重文の国宝格上げ)がいろんなところで起こってる気がします。
けっこう中世建築か近世建築かで境界線があったように思うのですが、ある程度中世建築の指定が終わったので、じょじょに江戸期のものも重文にしてやろうという流れになってるのでしょうか。

鎌倉につきもののやぐらは健在。これがあると異国情緒が増します。もろ、国内だけど。でも、「和風」という感じではない。
水戸徳川家の姫が住持として代々入ったので、建築も豪華で、あんまり修行の寺という感じはしません。瀟洒な家という感じ。

近隣住民。

『十六夜日記』の作者、阿仏尼の墓と伝承される六層塔がまたやぐらにあります。
ただ近世地誌に書いてある阿仏尼の墓というのは卵塔なので、形式が全然違います。この層塔がいつできたのかは謎です。京都にも阿仏尼の墓があるようですが、鎌倉に下向してこっちで阿仏尼には亡くなったはずなので、まあ、故郷と死んだところと両方に墓があってもいいんじゃないでしょうか。

そして、たぶん扇ヶ谷で一番奥まったところにある海蔵寺へ。

十六井戸を目指して、一回お寺の境内から抜けていきます。
なんかトトロとかに出てきそうな地形。微妙にトンネル。こういう風景が鎌倉らしいです。少なくとも新宿らしくはないです。

道の先の洞窟にあるのが、立体ビンゴゲームみたいな十六井戸(本だと十六ノ井)。水が湧いていて、それぞれたまっています。本当に井戸なのかよくわかりません。

海蔵寺にも、やはりやぐらが。
これを見るとテンションあがります。
住所が扇ガ谷にある寺というと、まだ浄光明寺や薬王寺があるのですが、北鎌倉に抜ける途中に訪れたので後日紹介します。
次回はたぶん銭洗弁財天などをまわります。
さて、次回の更新、おそらく7月4日か5日あたりになります。少し間隔空きますがご了承ください。また、史跡旅行にいってまいります。
今回は鎌倉の史跡をまわります。
何度か鎌倉行ってますが、森田の感覚だと合計4日あれば、鎌倉市内の史跡はほぼすべて見てまわれる感じです。公共交通機関をフルに活用すれば3日も可能かもしれませんが、たぶん観光じゃなくて修行になります。
今回は住所でいくと、扇ガ谷になっているエリアの史跡をまわっていきます。なんか、アド街みたいな導入だな。

まず寿福寺のほうに歩いて行きます。途中で巽神社があります。寿福寺の巽の方角にあるからだとか。
荒神がまつってあるようで、もともと寿福寺の鎮守だったようです。伝承によると、坂上田村麻呂が勧請して、源頼義がこの地に移したとか。

住所だと、こういう表記ですが、扇ヶ谷をまわっていきます。

寿福寺のすぐそばの八坂神社。
千葉一族の相馬師常が1192年に自分の邸宅(今の巽神社のあたり、ややこしいな)に牛頭天王を勧請したのがはじまりだそうで、そのあと、現在地に移ったようです。

さて、鎌倉五山第三位の寿福寺へ。
栄西ゆかりの寺で源実朝の時代には伽藍が整ったと書いてあったので、鎌倉の禅宗寺院の中でも相当古い部類に入ると思われます。もっとも、最初から禅宗寺院という色合いが強かったわけではなさそうですが。

奥へは入れないですが、手前までは行けます。

続いて鎌倉唯一の尼寺(東慶寺とかはもう尼寺ではないので)である英勝寺へ。
ごく最近、重要文化財に建物が指定されました。ニュースの記事を引用すると、「対象は仏殿▽山門▽鐘楼▽祠堂(しどう)▽祠堂門-の5棟」ということだそうですので、この山門も重文ですね。

仏殿も重文に格上げ。なお、建築は江戸時代のものです。感覚的なもので、調査とかはしてないですが、ここ最近江戸時代の建築の重文格上げ(および一部で重文の国宝格上げ)がいろんなところで起こってる気がします。
けっこう中世建築か近世建築かで境界線があったように思うのですが、ある程度中世建築の指定が終わったので、じょじょに江戸期のものも重文にしてやろうという流れになってるのでしょうか。

鎌倉につきもののやぐらは健在。これがあると異国情緒が増します。もろ、国内だけど。でも、「和風」という感じではない。
水戸徳川家の姫が住持として代々入ったので、建築も豪華で、あんまり修行の寺という感じはしません。瀟洒な家という感じ。

近隣住民。

『十六夜日記』の作者、阿仏尼の墓と伝承される六層塔がまたやぐらにあります。
ただ近世地誌に書いてある阿仏尼の墓というのは卵塔なので、形式が全然違います。この層塔がいつできたのかは謎です。京都にも阿仏尼の墓があるようですが、鎌倉に下向してこっちで阿仏尼には亡くなったはずなので、まあ、故郷と死んだところと両方に墓があってもいいんじゃないでしょうか。

そして、たぶん扇ヶ谷で一番奥まったところにある海蔵寺へ。

十六井戸を目指して、一回お寺の境内から抜けていきます。
なんかトトロとかに出てきそうな地形。微妙にトンネル。こういう風景が鎌倉らしいです。少なくとも新宿らしくはないです。

道の先の洞窟にあるのが、立体ビンゴゲームみたいな十六井戸(本だと十六ノ井)。水が湧いていて、それぞれたまっています。本当に井戸なのかよくわかりません。

海蔵寺にも、やはりやぐらが。
これを見るとテンションあがります。
住所が扇ガ谷にある寺というと、まだ浄光明寺や薬王寺があるのですが、北鎌倉に抜ける途中に訪れたので後日紹介します。
次回はたぶん銭洗弁財天などをまわります。
さて、次回の更新、おそらく7月4日か5日あたりになります。少し間隔空きますがご了承ください。また、史跡旅行にいってまいります。
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