どもども、森田です。今回は掛川市と湖西市鷲津にある史跡をめぐります。ちなみに前回の予告の場所と全然場所違いますね。まあ、そのうち、どっちも更新します。
鷲津と掛川では、けっこう離れてるぞとお思いの方、この二箇所にはとある共通点があります。JRの駅から歩いていけるところに史跡があるということです。つまり、駅から降りて史跡を見て駅に戻って、また電車に乗って、という流れが成立するわけです。
というわけで、まず掛川城から。

掛川駅から北へ数分歩くと、すぐに掛川城が見えてきます。ただ、この天守は平成になってから作ったもの。
江戸時代は掛川城は城主が変わりまくりましたが、最終的に太田氏で落ち着き、幕末まで続きました。

天守は再建されたものですが、藩主公邸として機能していた御殿のほうは現存しており、国の重要文化財。ここは入口。入館料払うと中も見れます。天守の中もセットで見れます。

中はこんな感じ。

何時間か座ってたら偉くなった気分が味わえる。迷惑だけど。

さて、次に向かったのは城からすぐの大日本報徳社。報徳というと、二宮尊徳ですが、その尊徳の思想を広めるための団体だったそうです。今は資料館的な役割を担っているようです。ここに、面白い建物が結構残っています。
これは淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館。県の文化財。

入口。この門も県の文化財です。

入口の正面にある大講堂はちょっと前に県文化財から国の重文に格上げされました。1903年の建物。

以下、しばらく敷地内の建物が続きます。以下、ゴチックは市のホームページより引用。
仰徳(こうとく)記念館
明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。
(掛川市指定文化財)

これも。
仰徳学寮。
仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。講堂の前方北寄りに位置し、東西に棟を向けて建つ木造総二階建て寄棟造りの建物です。
(掛川市指定文化財)

これも。
明治10年から17年、岡田良一郎が掛川市倉真の自邸に開いていた北学舎は、その使命に幕を閉じた後、この地に移築され、明治期の報徳運動を今に伝える貴重な建造物として保存されています。
(掛川市指定文化財)
これだけ見ると、普通の民家とあまり違いがないかも。

続いて、いかにも公園に続きますって感じの階段をのぼっていくと、竜華院大猷院(だいゆういん)霊屋(おたまや)があります。県の文化財。
大猷院というと、三代将軍の家光のことですね。
以下、掛川市のHPの文章を引用。
明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、現在、県の有形文化財に指定されています。
つまり、将軍を敬ってるから藩を存続させてねというアピールで作ったと。なお、結局後継ぎがないのでつぶされました。

角度を変えて、もう一枚。なお、ここで寒さでカメラのバッテリーが死にました。またか。幸い、掛川駅周辺で歩いて見て回れる史跡は以上なので、ぎりぎりセーフ。ここから、掛川駅までは約15分ほど。頑張って走って予定の電車に乗れました。

続いて、かなり西に行って、鷲津駅で下車。

駅からてくてく歩いていくと、本興寺へ。ここは谷文晁(たにぶんちょう)の障壁があり、文晁寺とも言われてるそうです。

この本興寺の奥に本堂があります。正確な建造時期は不明ですが、1552年に修理したことがわかるので、最低でもそれよりは古い。国の重要文化財。

角度を変えてもう一枚。

横にあった鐘楼。

拝観入口がこの奥のはずですが、時間の関係で断念しました。なお、本堂とかは無料で見られるエリアです。

いろいろ書いてあるけど、見る時間がなかった……。
行き方
・掛川城
新幹線も止まるJR掛川駅からまっすぐ正面に歩くと、数分で着く。絶対迷わない。御殿と天守の共通拝観券(個別の券はない)がある。400円。なお、天守に入ると、予想以上の小ささにびっくりする。メインは御殿。
・大日本報徳社
掛川城の隣と言っていいようなところにあって、すぐに行けるのでついでに行きたい。内部見学は拝観料を払えば見れる(はず。時間の関係でパスしました)。
・霊屋
大日本報徳社から5分ほど。ただ、階段をのぼっていくので平坦な道ではない。
・本興寺
JR鷲津駅から徒歩15分ほど。まず迷うことはないが、お寺自体が大きいので、敷地内に入っても本堂まで、まあまあ歩く。
次回は和歌山の道成寺などをめぐります。
鷲津と掛川では、けっこう離れてるぞとお思いの方、この二箇所にはとある共通点があります。JRの駅から歩いていけるところに史跡があるということです。つまり、駅から降りて史跡を見て駅に戻って、また電車に乗って、という流れが成立するわけです。
というわけで、まず掛川城から。

掛川駅から北へ数分歩くと、すぐに掛川城が見えてきます。ただ、この天守は平成になってから作ったもの。
江戸時代は掛川城は城主が変わりまくりましたが、最終的に太田氏で落ち着き、幕末まで続きました。

天守は再建されたものですが、藩主公邸として機能していた御殿のほうは現存しており、国の重要文化財。ここは入口。入館料払うと中も見れます。天守の中もセットで見れます。

中はこんな感じ。

何時間か座ってたら偉くなった気分が味わえる。迷惑だけど。

さて、次に向かったのは城からすぐの大日本報徳社。報徳というと、二宮尊徳ですが、その尊徳の思想を広めるための団体だったそうです。今は資料館的な役割を担っているようです。ここに、面白い建物が結構残っています。
これは淡山翁(たんざんおう)記念報徳図書館。県の文化財。

入口。この門も県の文化財です。

入口の正面にある大講堂はちょっと前に県文化財から国の重文に格上げされました。1903年の建物。

以下、しばらく敷地内の建物が続きます。以下、ゴチックは市のホームページより引用。
仰徳(こうとく)記念館
明治17年、東京霞ヶ関に有栖川宮邸として建てられた日本館の一部が、昭和13年、当時の一木喜徳郎社長の尽力によって、宮内庁から下賜、移築されました。現存する宮家の数少ない貴重な建造物です。
(掛川市指定文化財)

これも。
仰徳学寮。
仰徳記念館とともに移築された有栖川宮邸の一部。講堂の前方北寄りに位置し、東西に棟を向けて建つ木造総二階建て寄棟造りの建物です。
(掛川市指定文化財)

これも。
明治10年から17年、岡田良一郎が掛川市倉真の自邸に開いていた北学舎は、その使命に幕を閉じた後、この地に移築され、明治期の報徳運動を今に伝える貴重な建造物として保存されています。
(掛川市指定文化財)
これだけ見ると、普通の民家とあまり違いがないかも。

続いて、いかにも公園に続きますって感じの階段をのぼっていくと、竜華院大猷院(だいゆういん)霊屋(おたまや)があります。県の文化財。
大猷院というと、三代将軍の家光のことですね。
以下、掛川市のHPの文章を引用。
明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、現在、県の有形文化財に指定されています。
つまり、将軍を敬ってるから藩を存続させてねというアピールで作ったと。なお、結局後継ぎがないのでつぶされました。

角度を変えて、もう一枚。なお、ここで寒さでカメラのバッテリーが死にました。またか。幸い、掛川駅周辺で歩いて見て回れる史跡は以上なので、ぎりぎりセーフ。ここから、掛川駅までは約15分ほど。頑張って走って予定の電車に乗れました。

続いて、かなり西に行って、鷲津駅で下車。

駅からてくてく歩いていくと、本興寺へ。ここは谷文晁(たにぶんちょう)の障壁があり、文晁寺とも言われてるそうです。

この本興寺の奥に本堂があります。正確な建造時期は不明ですが、1552年に修理したことがわかるので、最低でもそれよりは古い。国の重要文化財。

角度を変えてもう一枚。

横にあった鐘楼。

拝観入口がこの奥のはずですが、時間の関係で断念しました。なお、本堂とかは無料で見られるエリアです。

いろいろ書いてあるけど、見る時間がなかった……。
行き方
・掛川城
新幹線も止まるJR掛川駅からまっすぐ正面に歩くと、数分で着く。絶対迷わない。御殿と天守の共通拝観券(個別の券はない)がある。400円。なお、天守に入ると、予想以上の小ささにびっくりする。メインは御殿。
・大日本報徳社
掛川城の隣と言っていいようなところにあって、すぐに行けるのでついでに行きたい。内部見学は拝観料を払えば見れる(はず。時間の関係でパスしました)。
・霊屋
大日本報徳社から5分ほど。ただ、階段をのぼっていくので平坦な道ではない。
・本興寺
JR鷲津駅から徒歩15分ほど。まず迷うことはないが、お寺自体が大きいので、敷地内に入っても本堂まで、まあまあ歩く。
次回は和歌山の道成寺などをめぐります。