どもども、森田です。
コミケお疲れ様でした! 一言で言うと、これまでのコミケで一番きついコミケでした(気温的な意味で)。
コミケ新刊『流星小説。』の委託・通販は確認でき次第、ツイッターなどで告知いたします。もうしばらくお待ちください。
また、徐々に『烈風の魔札使と召喚戦争』の発売日も近づいてきました。また、こちらも告知させてください!
さて、今回は静岡県袋井市の遠州三山をまわります。
あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、遠州の大寺院です。

まずは法多山(はったさん)尊永寺へ。
参道には土産物屋も並び、かなりのにぎわいです。
遠州高野山ともいわれるらしい、ご当地大寺院。
仁王門は重要文化財。江戸時代初期という説と、室町末期という異説があります。

参道も落ち着いていますが、静かという感じではなく、人がひっきりなしに歩いています。

ここの名物が厄除だんご。このお寺がにぎわってる理由の一つがご当地スイーツがあるからだと思われます。専用コーナーがあって、システマティックに提供されているぐらいの盛況ぶり。なんと団子券を自販機で買って持っていく食券システム。ラーメン屋か。

独特の形をしている団子。やたらと串が刺さっています。
こんなの食いづらいだろと思われた方、私も最初そう思いました。というか、食べ方わかりませんでした。
地元民の友人に教えてもらったのですが、この串、横に力を入れると、一本分に割けるのです。右が割いたもの。こうやって分割して食べるのですね。このあたりの人にとったら常識らしいが、たぶん全国的には知られてない。

参道の奥、階段をあがると新し目の本堂が登場。全般的にレジャースポット感が強い寺です。

次の三山へ行く前に近くの富士浅間宮へ。坂上田村麻呂の創建という伝説があります。

本殿は見えづらいですが、桃山時代のもので重要文化財。

むしろ、拝殿がなかなか雰囲気があってよかったです。

次の遠州三山は可睡斎(かすいさい)。変な名前ですが、いわれがあります。
ここの住職は家康が幼いころ、保護しておりました。長じた家康はその恩にむくいようと、住職を城は招きましたが、住職はそこで居眠り。無礼ではないかという声があがるなか、家康は「睡(ねむ)る可(べ)し」と言ったとか。それで寺の名前も可睡斎にあらためた、ということだそうです。
ほんとかよという気もしますが、たしかにそれぐらいのことがないと、こんな変な寺の名前にはならないか。東海地方の曹洞宗最大の寺院といっていい勢力を持っていました。
これは法堂(はっとう)。いわゆる本堂です。

ただ、このお寺で有名なのはむしろ付属物。
秋葉(あきは)総本殿の近くの天狗。
また、次回ぐらいに紹介しますが、秋葉神社の総本社はこのあたりにあるのです。昔のことだから、神仏習合して秋葉寺というのもあったのですが、それが廃仏毀釈で壊されてしまった。そこで、それを引き継いだものです。秋葉山といえば天狗なのですが、たしかになぜか禅宗寺院と天狗は関連がよくあります。建長寺しかり、大雄山しかり。

こちらが総本殿。

中には天狗が祀っています。

この護国塔は日露戦争の戦死者の供養のために作られたもので、ガンダーラ仏塔に似た形をしています。県の文化財。

もはやゆるキャラじゃなくて、ただのフクロウ。

さて、遠州三山最後の油山寺(ゆさんじ)へ。正式には医王山薬王院油山寺と言いまして、いかにも薬師如来を祀ってそうな寺ですが、やっぱり一番奥の高いところに薬師堂があります。目の病気に効き目があるとの信仰が昔から強いです。三山の中では一番山寺という感じがします。
建物は城っぽいですが、これで寺の山門。重要文化財。ただ、本来はまさに城の門だったもので、掛川城の大手門を明治になってから移築したものです。

ここにも天狗の伝説が。

この書院も遠州の横須賀城から持ってきたものだそうで、県の文化財。

このお堂の奥に小さな滝があり、目に効くと言われています。孝謙天皇の目がこの水でなおったとか。

三重塔は桃山時代のもので重要文化財。バランスがいいです。けっこう高台にあります。しかし、薬師堂はもっと高台に。

順番前後しますが、薬師堂(本堂)の内部。「め」と書いたものが目立ちます。

本堂は18世紀の建物で、県の文化財。
次回は同じく静岡県の小国神社・秋葉神社をまわります。
コミケお疲れ様でした! 一言で言うと、これまでのコミケで一番きついコミケでした(気温的な意味で)。
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さて、今回は静岡県袋井市の遠州三山をまわります。
あまり聞きなれない言葉かもしれませんが、遠州の大寺院です。

まずは法多山(はったさん)尊永寺へ。
参道には土産物屋も並び、かなりのにぎわいです。
遠州高野山ともいわれるらしい、ご当地大寺院。
仁王門は重要文化財。江戸時代初期という説と、室町末期という異説があります。

参道も落ち着いていますが、静かという感じではなく、人がひっきりなしに歩いています。

ここの名物が厄除だんご。このお寺がにぎわってる理由の一つがご当地スイーツがあるからだと思われます。専用コーナーがあって、システマティックに提供されているぐらいの盛況ぶり。なんと団子券を自販機で買って持っていく食券システム。ラーメン屋か。

独特の形をしている団子。やたらと串が刺さっています。
こんなの食いづらいだろと思われた方、私も最初そう思いました。というか、食べ方わかりませんでした。
地元民の友人に教えてもらったのですが、この串、横に力を入れると、一本分に割けるのです。右が割いたもの。こうやって分割して食べるのですね。このあたりの人にとったら常識らしいが、たぶん全国的には知られてない。

参道の奥、階段をあがると新し目の本堂が登場。全般的にレジャースポット感が強い寺です。

次の三山へ行く前に近くの富士浅間宮へ。坂上田村麻呂の創建という伝説があります。

本殿は見えづらいですが、桃山時代のもので重要文化財。

むしろ、拝殿がなかなか雰囲気があってよかったです。

次の遠州三山は可睡斎(かすいさい)。変な名前ですが、いわれがあります。
ここの住職は家康が幼いころ、保護しておりました。長じた家康はその恩にむくいようと、住職を城は招きましたが、住職はそこで居眠り。無礼ではないかという声があがるなか、家康は「睡(ねむ)る可(べ)し」と言ったとか。それで寺の名前も可睡斎にあらためた、ということだそうです。
ほんとかよという気もしますが、たしかにそれぐらいのことがないと、こんな変な寺の名前にはならないか。東海地方の曹洞宗最大の寺院といっていい勢力を持っていました。
これは法堂(はっとう)。いわゆる本堂です。

ただ、このお寺で有名なのはむしろ付属物。
秋葉(あきは)総本殿の近くの天狗。
また、次回ぐらいに紹介しますが、秋葉神社の総本社はこのあたりにあるのです。昔のことだから、神仏習合して秋葉寺というのもあったのですが、それが廃仏毀釈で壊されてしまった。そこで、それを引き継いだものです。秋葉山といえば天狗なのですが、たしかになぜか禅宗寺院と天狗は関連がよくあります。建長寺しかり、大雄山しかり。

こちらが総本殿。

中には天狗が祀っています。

この護国塔は日露戦争の戦死者の供養のために作られたもので、ガンダーラ仏塔に似た形をしています。県の文化財。

もはやゆるキャラじゃなくて、ただのフクロウ。

さて、遠州三山最後の油山寺(ゆさんじ)へ。正式には医王山薬王院油山寺と言いまして、いかにも薬師如来を祀ってそうな寺ですが、やっぱり一番奥の高いところに薬師堂があります。目の病気に効き目があるとの信仰が昔から強いです。三山の中では一番山寺という感じがします。
建物は城っぽいですが、これで寺の山門。重要文化財。ただ、本来はまさに城の門だったもので、掛川城の大手門を明治になってから移築したものです。

ここにも天狗の伝説が。

この書院も遠州の横須賀城から持ってきたものだそうで、県の文化財。

このお堂の奥に小さな滝があり、目に効くと言われています。孝謙天皇の目がこの水でなおったとか。

三重塔は桃山時代のもので重要文化財。バランスがいいです。けっこう高台にあります。しかし、薬師堂はもっと高台に。

順番前後しますが、薬師堂(本堂)の内部。「め」と書いたものが目立ちます。

本堂は18世紀の建物で、県の文化財。
次回は同じく静岡県の小国神社・秋葉神社をまわります。
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