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若松城・会津藩主松平家墓所・天寧寺など(福島県会津若松市)

好きなテレビ番組はアド街ック天国とブラタモリです、森田、森田です。

今回も、前回に続いて会津若松を巡ります。今回は会津若松の観光のメインの一つ、若松城などにも行きます。

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この建物も味がある。

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これは多分、野口英世青春館という建物です。


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その右隣の福西本店店蔵は1914年の建築で登録有形文化財。


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奥の建物も多くが登録有形文化財です。

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煉瓦塀部分なども1915年の建築で登録有形文化財です。


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離れて、煉瓦塀などを撮影。写真の左奥です。


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旧遠藤米穀店は1878年の建築。市の歴史的景観指定建造物に指定されています。


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旧黒河内胃腸病医院は1878年の建築で歴史的景観指定建造物。


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日本基督教団若松栄町教会は1911年の建築で登録有形文化財。

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興徳寺には蒲生氏郷の墓があります。


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若松城の甲賀町口門跡は国の史跡。


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巨大な酒造会社。


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昼になったので喜多方ラーメンをいただきます。


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若松城へ入ります。


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厳重な出入り口。


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だんだん中心部へ近づいていきます。


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天守は復元されたものです。今は博物館として利用されています。


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このあたりは古い石垣の組み方ですね。


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土塁の上も歩けます。中世の地域の権力者がぽんぽん作れるサイズではないので、できた当初は相当驚かれたと思います。


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お城の敷地には、千利休の子供が建てたという茶室、麟閣もあります。県指定文化財。


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少し郊外に歩いたところに蒲生秀行の廟もあります。この人の亡くなった1612年から間もないころの建築と思われ、県指定文化財。


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今の裁判所は会津藩家老・内藤家の屋敷跡で白露庭という庭園が敷地に残ってます。


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続いてバスで会津藩主松平家墓所へ。


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基本的に儒教式の墓なのですごく雑に説明しますと、上に墓石がありますが、厳密にはあれは「表石(おもていし)」といって、その奥にある墳丘がお墓の本体になります。墳丘にも「鎮石(しずめいし)」という石が置かれてるようです。そこまで立ち入れませんが。


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表石のあるところより手前の平坦地には「碑石(ひせき)」というものが設置してます。亀の上に業績を書いた石碑が建ってます。


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前にも書いたことある気がしますが、この亀、ゼルダの伝説のガノンっぽいんですよね。


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松平容保の墓もあります。


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こちらが墓石部分。


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なお、保科正経の墓は仏式で祀られているので、構造がちょっと違います。この墓石部分が本体で、墳丘はありません。


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碑石はあるけど、亀には載っていません。


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墓所を出て下っていきます。会津武家屋敷にある旧中畑陣屋主屋は1837年の建築で県指定文化財。会津武家屋敷自体は時間の関係で中に入って見てないので、外からさっと撮影。


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今回、最後は天寧寺へ。


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こちらは近藤勇の墓があります。

こんな感じの若松城と松平家墓所あたり巡りでした。
次回も会津若松巡り、続きます。

行き方
若松城から松平家墓所までは徒歩だときついので周遊バスに乗るのが無難。今回はバスで移動した。墓所から市街地へは下り坂なので徒歩で戻ることは可能。

大町通りや七日町周辺のレトロ建築など(福島県会津若松市)

好きなテレビ番組はアド街ック天国とブラタモリです、森田、森田です。

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今回は会津若松駅からスタートします。いい味を出している古い建築がたくさんあるので、それを見ていきます。


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羽金家は1919年の建築で、市の歴史的景観指定建造物。会津若松市独自の文化財ジャンルですが、多分登録有形文化財みたいなものです。


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融通寺の西軍墓地。この場合の西軍とは長州とかの新政府軍のことです。おそらく、政府と呼ぶと、会津側が反政府軍なのかということになってしまうので(たしかにこの場合の政府というと、そっちが正義みたいな意味合いになる面がある)、東西で表現しているのではないでしょうか。ただ、地元の観光サイトでも新政府軍という表現を使ってるところもあるので、現在はそこまで気にされてないのかもしれない。


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旧小野寺漆器店(1872年)と左側の旧大島蔵(明治10年代)。市の歴史的景観指定建造物。


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耳神様。治ると、おわんに穴を空けて、ひもでつないで奉納するそうです。


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蒲生忠郷の墳墓と五輪塔。塔の部分は1627年のもので市指定文化財。


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「木」の文字がついてる鈴善蔵座敷は1929年の建築で登録有形文化財。


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鈴善の店舗は昭和戦前期の建築で登録有形文化財。


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鈴善貯蔵蔵は1919年の建築で登録有形文化財。


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物置き蔵は幕末の建築、鈴善米炭蔵(右)は1922年の建築で登録有形文化財。


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鈴善荷造り蔵(右)は昭和戦前期の建築で登録有形文化財。左はさっきの物置蔵。


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旧会津実業信用組合は1928年の建築で市の歴史的景観指定建造物。


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竹藤(たけとう)店舗は1841年の建築で登録有形文化財。


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鈴木屋利兵衛店蔵は幕末の建築で登録有形文化財。


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旧郡山商業銀行若松支店は1922年の建築で歴史的景観指定建造物。


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滝谷建設工業(株)会津若松店社屋は1926年の建築で歴史的景観指定建造物。


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(株)白木屋漆器店は1914年の建築で歴史的景観指定建造物。


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東西のメインストリート、七日町通りを歩いていきます。このあたりは文化財指定されてないですが、じゅうぶん雰囲気あります。


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このあたりもかっこいい。


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左をアップで。「花と陶器 永山」は1916年の建築で歴史的景観指定建造物。


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会津天宝醸造は1921年の建築で歴史的景観指定建造物。


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満田屋は江戸時代から明治の建築で歴史的景観指定建造物。


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この建物もかっこいい。


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右の渋川問屋は大正の建築で歴史的景観指定建造物。


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拡大。


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阿弥陀寺内にある御三階(ごさんかい)はかつては鶴ヶ城本丸内にあった建物。かなり西のほうまで来ました。歴史的景観指定建造物。


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境内には斎藤一(藤田五郎)の墓があります。後半生は会津で暮らしました。


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このお寺には戊辰戦争で亡くなった多くの人が埋葬されました。


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七日町駅もかなり古い建築です。

七日町の西まで来たので、ここから先は次回に。
まだまだ会津若松巡りが続きます。

行き方
会津若松駅から徒歩で南下して、途中から七日町を西に移動した。

さざえ堂・旧滝沢本陣・会津藩主松平家墓所など(福島県会津若松市)

好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。

今回は会津の史跡をいくつか巡ります。

なお、会津の重文建築などは過去の記事をご覧ください。

〇熊野神社・勝常寺・鳥追観音その他延命寺・八葉寺・勝福寺・円満寺(福島県会津地方) http://moritarail.blog108.fc2.com/blog-entry-364.html

〇立木観音・円蔵寺・中田観音・法用寺・冨岡観音・伊佐須美(いさすみ)神社(福島県会津地方) http://moritarail.blog108.fc2.com/blog-entry-365.html

〇喜多方蔵の里とラーメンめぐり・大内宿・恵日寺(福島県会津地方) http://moritarail.blog108.fc2.com/blog-entry-366.html


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まず、どこかわからない写真……。おそらく福島県の猪苗代あたりの中ノ沢温泉付近の写真と思われますが不明です……。



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もう一枚。



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続いて会津若松へ。


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通称さざえ堂にやってきました。「旧正宗寺(しょうそうじ)三匝堂(さんそうどう)」の名前で文化財登録されています。1796年の建築で重要文化財。



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正面部分。ウィキによると正式名称は「円通三匝堂」だそうです。建物の左側にもそう書いてあるので、事実でしょう。



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内部。ずっと歩いていくと、いつのまにか下っていく形になります。



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白虎隊が死んだところ。



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続いて、旧滝沢本陣横山家住宅へ。こちらは戊辰戦争の時の会津側の本営になりました。そのため、弾痕や刀の傷などが建物に残っています。
1678年の建築で国の史跡、重要文化財。



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こちらは本陣の庭。



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続いて会津藩主松平家墓所へ。国の史跡です。
写真は若くして亡くなった保科正頼の墓。



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さらに上へ。



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神道式の亀石を台座にした墓。亀の表情が怖い。



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松平容保の墓。



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最後に若松城跡へ。今のお城は戦後のコンクリート製です。



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こんな感じの会津若松巡りでした。
駅弁の牛めしを食べる。

行き方
会津若松を訪れたのがかなり前なので現在の交通機関は不明だが、バス路線などで回ることは可能なはず。

小峰城・南湖公園・白河関(福島県白河市)

好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。

今回は福島県の白河を巡ります。
※無茶苦茶古くて2007年の写真です。

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まず、JRの白河駅へ。1921年にできたレトロな洋風建築です。



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駅のすぐ北側へ。



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駅のすぐ北にある小峰城へ。現在のお城は1632年、丹羽長重が完成させたものです。ただし建物などは戊辰戦争で焼失。今の建物は復元です。



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石垣はしっかり残ってます。



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中心部へ。



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復元とはいえ、なかなか立派な城です。



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続いて、郊外にある白川城跡へ。



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南北朝時代に南朝側の結城氏の拠点だったお城です。それ以降も結城氏の拠点でしたが、戦国時代に分家筋の小峰氏にどうも実権を握られたりして、この地域の拠点も小峰城のほうに移っていったようです。



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続いて、南湖公園へ来ました。松平定信が整備した庭園で、国名勝に指定されています。



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松風亭蘿月(らげつ)庵は松平定信愛用の茶室で県文化財ですが、肝心の茶室の写真がない……。



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松平定信を祀る南湖神社。



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性善説。



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南湖、広すぎるので、多分ボートでのんびりするのが楽しみ方としていいんだろうな……。



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最後は白河関跡へ。歌枕として有名な場所です。なお、長らく場所がわからなくなっていたのを現在地に比定したのが松平定信。どこにでもこいつの名前が出てくるな。江戸時代の比定ではありますが、戦後発掘したら柵の跡など古代の防御施設とされるものが出てきたので、正解の可能性は高いのではないでしょうか。



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今は白河神社が建っています。



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防御施設なので堀もあります。
こんな感じの白河巡りでした。次回は会津若松の中心部を巡ります。

行き方
白河の文化財は広範囲にあるので、車があったほうが無難。

涼ヶ岡八幡神社・中村神社と中村城(福島県相馬市)

好きなテレビ番組はアド街ック天国とタモリ倶楽部です、森田、森田です。

今回は福島県の相馬を巡ります。DSC03416 - コピー
相馬駅に到着。


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まず、涼ヶ岡(すずみがおか)八幡神社へ。
歩いていける距離ではないので、タクシーを使いました。
なお、タクシーの運転手の人は「すずしがおか」と言ってました。地元と本で読み方が異なるという、あるあるだ……。


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社殿エリアは水堀と土塁に守られた城っぽい構造になってます。とくに本には城跡とは書いてないがですが。


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随神門は1695年の建築で重要文化財。


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本殿、幣殿、拝殿は1695年の建築で重要文化財。写真は拝殿。
壮麗なことから相馬日光と呼ばれたそうです。


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こちらが本殿部分。


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絵馬殿は社殿と同じ年にできたものの焼失して1911年に再建されました。


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拝殿をもう一枚。


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本殿ももう一枚撮影。


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摂社の若宮八幡宮は1695年の建築で重要文化財。


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亀齢社(きれいしゃ)は1795年の建築で重要文化財。何を祀ってるんやという話ですが、相馬藩八代藩主の相馬恕胤(そうまもろたね)を祀ってます。


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涼ヶ岡八幡神社から市街地のほうへ戻るように歩いていきます。


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途中にあった小高い丘は熊野堂城跡です。戦国期には近くの相馬氏の本拠中村城を攻める時の陣城として機能したとかウェブのページで書いてたりしましたが、自分では細かく検証してません。


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続いて相馬中村神社へ。
この神社も含めて中村城の城域です。相馬藩相馬氏六万石のお城です。


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土塁と堀。


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神社入り口横にある親子スギ。県の天然記念物。


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曲輪を使っているからか高低差がけっこうある。本殿・幣殿・拝殿は1643年の建築で重要文化財。この上の部分は妙見曲輪です。なお、この神社は元々妙見菩薩を祀っていました。
相馬氏は通字で名前に「胤(たね)」の字が入りますが、これは千葉氏の通字と同じです。相馬氏も千葉氏の一族で本来の本拠地は千葉県の北西部から茨城県の取手とかあたりの相馬御厨のあたりでした。妙見菩薩は千葉氏が強く信仰してました。


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拝殿部分。


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本殿部分。


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社殿付近は土塁みたいなのが巡らされてます。


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妙見曲輪の隣の曲輪との間の堀。


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THE城。


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本丸のほうへ向かう。


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中村神社が本丸にあります。


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本丸の逆側の出入り口。


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下から本丸とかのほうを見上げる。台地になってますね。


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中の門跡。


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外大手一門。
なかなか堪能できた中村城・中村神社でした。

こんな感じの相馬市巡りでした!
次回は西国街道の宿場町矢掛(やかげ)などを巡ります。

行き方
涼ヶ岡八幡神社
相馬駅から5キロほど離れていてほぼバスもないエリアなのでタクシーが必要。
中村神社・中村城
相馬駅から徒歩で行けることは行けるが、奥までまんべんなく歩くとかなりの距離。城の奥から駅まで2キロ弱ほど。

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